兵書と戦略書図鑑
呉子(武経七書(孫子のほか))
呉子は、戦国の将・呉起の名で伝わり、内政の安定を軍事の土台に置く問答形式の書。武経七書の中で孫子に次いで重んじられてきた。『呉子』は、戦国時代に魏の武侯と楚の悼王という二人の君主に仕えた将軍・呉起(?〜前381年)の名で伝わる書物。呉起の伝記は、歴史書『史記』の中の「孫子呉起列伝」にあるが…
六韜(武経七書(孫子のほか))
六韜は、周の太公望に仮託され、文・武・竜・虎・豹・犬の六巻六十篇からなる、武経七書で最も分量の多い書。『六韜』の旧い題は「周の呂望(太公望・姜子牙とも呼ばれる、周の建国を助けたという軍師)撰」とする。しかし、原文を収める中国語サイト・維基文庫の解題は「詞意浅近、類古書ならず」(言葉づかいが浅く…
司馬法(武経七書(孫子のほか))
司馬法は、斉の将・司馬穰苴に連なるとされ、現存はわずか5篇にとどまる、軍礼としての性格を色濃く残す書。『司馬法』は、斉(春秋時代の国)に仕えた将・司馬穰苴(生没年不詳)に由来するとされる書物である。ただし、現存する内容が穰苴自身の著作なのか、後の人がまとめたものなのかは確かめられない。書名の「司馬」は軍を司る官の名で…
三略(武経七書(孫子のほか))
三略は、秦末の隠者・黄石公が張良に授けたという伝説とともに伝わるが、その逸話自体に疑いが向けられている、上中下三巻の書。『三略』は、秦の末に隠れ住んだという黄石公が、漢の建国を助けた功臣・張良に授けたという伝説とともに伝わる書物である。…
尉繚子(武経七書(孫子のほか))
尉繚子は、「尉繚」という人物に帰せられるが誰を指すか確かめきれない、天官から兵令まで全24篇からなる書。『尉繚子』は「尉繚」という人物の名で伝わる書物だが、この人物が誰かは定まっていない。魏の恵王に仕えたとする説や、戦国時代の別の人物とする説など複数の見方があり、一人の人物として確定できていない。書名の「子」は…
李衛公問対(武経七書(孫子のほか))
李衛公問対は、唐の太宗と将軍・李靖の兵法問答という形をとるが、唐代の正史に著録が無く、成立の経緯に疑いが向けられている書。『李衛公問対』は、唐の将軍・李靖(571〜649年)の著作として伝わる。唐の第二代皇帝・太宗(李世民)との問答という形式をとる。ただし、歴史書『新唐書』の文献目録「芸文志」は…
闘戦経(日本の兵法書)
闘戦経は、現存する日本独自の兵法書としては最古とされる短い書。中国渡来の兵書の考え方に触れながら、随所で異を唱える書きぶりをとる。『闘戦経』は、平安時代後期の学者・大江匡房(1041〜1111年)の著作とする見方が紹介されている。ただし、確かな記録から実証されているわけではなく…
五輪書(日本の兵法書)
五輪書は、剣術家・宮本武蔵が晩年に記したとされる、地・水・火・風・空の五巻からなる兵法書。自筆本は現存しない。『五輪書』は、剣術家・宮本武蔵(1584〜1645年)が、寛永20年(1643年)から、亡くなる直前の正保2年(1645年)にかけて記したとされる書物である。武蔵自身が書いた本は現存しておらず…
甲陽軍鑑(日本の兵法書)
甲陽軍鑑は、武田家の重臣・高坂昌信の口述を伝えるとされ、軍学者・小幡景憲の手で整理された、史料としての評価が大きく揺れてきた書。『甲陽軍鑑』は、武田信玄・勝頼に仕えた武将・高坂昌信(春日虎綱)の口述を、家臣の大蔵彦十郎と、甥の春日惣次郎が書き継いだという体裁をとる。その後…
戦略論(西洋の戦略書)
戦略論は、ローマの行政官フロンティヌスが過去の指揮官の機略を主題別に集めた、4巻からなる逸話集。原題『Strategemata』。この書は、ローマの行政官・技術者だったセクストゥス・ユリウス・フロンティヌス(40年頃〜103年頃)が、1世紀末頃に著したとされる。原題は『Strategemata(ストラテゲマタ…
軍事論(西洋の戦略書)
軍事論は、衰えつつあったローマ軍の立て直しを訴え、最盛期とされる軍の編成・訓練を書き残そうとした、後期ローマの著作。この書は、後期ローマ帝国の著述家フラウィウス・ウェゲティウス・レナトゥスが、4世紀末頃に著したとされる。…
戦争の技術(西洋の戦略書)
戦争の技術は、フィレンツェの政治思想家マキアヴェッリが対話の形式で古代ローマの軍制を手本に当時の傭兵制を批判した書。この書は、フィレンツェの政治思想家ニッコロ・マキアヴェッリ(1469〜1527年)が1519年から1520年にかけて執筆し、翌1521年に刊行したとされる。…