甲陽軍鑑
日本の兵法書
成立: 戦国末〜江戸初期(成立の経緯は確かめられない)
甲陽軍鑑は、武田家の重臣・高坂昌信の口述を伝えるとされ、軍学者・小幡景憲の手で整理された、史料としての評価が大きく揺れてきた書。
いつ・誰が書いたとされるか
『甲陽軍鑑』は、武田信玄・勝頼に仕えた武将・高坂昌信(春日虎綱)の口述を、家臣の大蔵彦十郎と、甥の春日惣次郎が書き継いだという体裁をとる。その後、江戸初期の軍学者・小幡景憲が原本を得て整理したとされる。景憲の弟子が無断で京都で刊行したのが始まりとも伝わる。書名の「軍鑑」は、軍事のありようを映す鑑(手本)という意味だという。
どんな構成で、何が書いてあるか
『甲陽軍鑑』は全20巻からなる。武田家の合戦・軍法・軍役のあり方から、信玄・勝頼の代の出来事、家臣の心得までを幅広く記す。元和・寛永・明暦という江戸時代の三つの時期に、版を重ねた刊本が伝わっている。武田家が滅んだあとも、軍学の教科書として江戸時代を通じて広く読まれた。多くの武将や後世の兵学者に影響を与えたと言われる。
中心になる考え
『甲陽軍鑑』の中心にあるのは、個々の合戦の巧拙よりも、武田家という一つの家における軍のあり方・軍法・家臣の心得である。それらを、口述の記録という体裁を通じて伝えようとする性格に特徴がある。合戦の勝敗だけでなく、日々の心構えや処世の教えを多く含む点も特徴である。こうした点で、単なる軍事の書にとどまらない性格を持つ。
作者と成立でわかっていないこと
明治以降の実証主義史学では、記載される事実や年紀に誤りが多いことから、小幡景憲が高坂昌信の名を借りて著したものだとする見方が広まった。1990年代以降、研究者・酒井憲二による古写本の校訂を経て再評価が進み、後半部分は他の史料との矛盾が比較的少ないという指摘もある。しかし、どこまでが高坂昌信の口述に遡り、どこからが景憲による加筆かは確かめられない。
原文をどこで読めるか
国立公文書館(内閣文庫)所蔵の刊本(元和・寛永・明暦版、全20巻23冊)がデジタルアーカイブで公開されている。