尉繚子

武経七書(孫子のほか)

成立: 戦国〜秦頃(人物の同定は確かめられない)

尉繚子は、「尉繚」という人物に帰せられるが誰を指すか確かめきれない、天官から兵令まで全24篇からなる書。

いつ・誰が書いたとされるか

『尉繚子』は「尉繚」という人物の名で伝わる書物だが、この人物が誰かは定まっていない。魏の恵王に仕えたとする説や、戦国時代の別の人物とする説など複数の見方があり、一人の人物として確定できていない。書名の「子」は、思想や技芸にすぐれた人物への敬称として使われる字である。こうした事情もあって、書名だけから著者を絞り込むことは難しい。

どんな構成で、何が書いてあるか

『尉繚子』は、天官・兵談・制談・戦威・攻権・守権など全24篇からなる。前半は用兵についての考え方を説き、後半は伍制令・束伍令・経卒令など、軍令・軍法を具体的に定める規定を並べる。篇の数の多さも、武経七書の中でこの書が際立つ点の一つである。実務的な規定が多く占める点は、武経七書の中でも異色とされる。

中心になる考え

『尉繚子』の中心にあるのは、天の時や占いに頼ることを退け、軍の統制・訓練・賞罰の制度を整えることが勝敗を分けるという考え方である。運や天命ではなく、制度と規律を重んじる姿勢に、この書の特徴がある。占いを頼みとする当時の風潮に対して、一線を引く姿勢を示した書とも言われる。実務を重んじる姿勢は、後半の具体的な軍法規定にもよく表れている。

作者と成立でわかっていないこと

「尉繚」という人物を誰と同定するかは確かめられない。1972年、山東省の銀雀山一号漢墓(前漢初期の墓)から竹簡が出土した。研究者・谷中信一の報告によれば、その中に『尉繚子』に当たる断簡(127片、完全な形で残る簡は無い)が含まれる。伝わる内容と一致することから、遅くとも戦国末〜秦代には書物として存在していたとみられるが、著者個人の特定には至っていない。

原文をどこで読めるか

全24篇の原文は維基文庫で読める。