李衛公問対
武経七書(孫子のほか)
成立: 北宋までに成立(唐代の著作かどうかは確かめられない)
李衛公問対は、唐の太宗と将軍・李靖の兵法問答という形をとるが、唐代の正史に著録が無く、成立の経緯に疑いが向けられている書。
いつ・誰が書いたとされるか
『李衛公問対』は、唐の将軍・李靖(571〜649年)の著作として伝わる。唐の第二代皇帝・太宗(李世民)との問答という形式をとる。ただし、歴史書『新唐書』の文献目録「芸文志」は、李靖の著作として「霸国箴」一巻のみを記録し、本書に当たる書名は見えない。「衛公」は李靖が封じられた衛国公の位に由来する呼び名である。
どんな構成で、何が書いてあるか
『李衛公問対』は上巻・中巻・下巻の三巻からなる。太宗が過去の戦例や『孫子』の語句について問い、李靖が答えるという対話形式をとる。孫子由来の概念である奇正(正攻法と奇策)・虚実(実と虚の使い分け)の読み方や、部隊の陣形・訓練の実際について論じる。たとえば太宗は隋末の霍邑の戦いを問い、李靖は一部隊の後退も誘う「奇」と答えている。こうした対話は、唐初までの実戦の積み重ねをふまえたものとされる。
中心になる考え
『李衛公問対』の中心にあるのは、『孫子』をはじめとする先行の兵書の語句を、唐の初めまでの戦いの実例に照らして読み解こうとする姿勢である。新しい兵法を説くというより、既存の兵法理論への注釈という性格を中心に置く。対話の形式をとることで、抽象的な理論を具体的な問答に落とし込んでいる点も特徴である。
作者と成立でわかっていないこと
著者が李靖本人なのか、後の時代の仮託なのかは確かめられない。歴史書『新唐書』の文献目録「芸文志」に本書の書名が見えないことは確かめられる。しかし、それが誰の手で、いつ、どのような経緯でまとめられたのかについては定説が無い。この空白そのものも、後世の仮託を疑う根拠の一つとして挙げられている。
原文をどこで読めるか
上中下三巻の原文は維基文庫で読める。