礎盤
柱と梁を受ける部材
時代: 鎌倉
柱の下端と礎石のあいだに挟む、円盤形の受け材です。禅宗様とともに十三世紀に入った部材で、石造が基本ながら木製の例も残り、時代が下るほど厚みを増します。
何をしている部材か
柱の下端と礎石のあいだに挟む、円盤形の受け材です。柱がじかに石へ乗るのではなく、いったんこの一枚を経て荷重が礎石へ渡ります。柱の足元の据わりが定まり、木口が石の湿りに直接さらされにくい位置でもあります。石造が基本で、木製の例も残ります。文化庁 国指定文化財等データベースの指定説明では、山口県の功山寺仏殿や神奈川県の円覚寺舎利殿など禅宗様の建物の形式記述に現れ、長野県の安楽寺八角三重塔でも柱下に据えられています。
見分けの決め手
柱の足元と礎石の境目を、真横から見ます。礎石の上面に平たい円盤がもう一段挟まっているならそれが礎盤で、柱はその上から立ち上がります。輪郭は円形が多く、側面に反花や繰形の刳りが回ることもあります。径は柱より少し大きい程度にとどまり、礎石の広がりまでは達しません。東京都の正福寺地蔵堂や岐阜県の永保寺開山堂では、床下の暗がりでも境目の線が二段に読めます。
どの様式・時代に多いか
禅宗様が入った十三世紀以降に増えます。粽・詰組・桟唐戸と組で現れるのがこの様式の常で、山梨県の清白寺仏殿や広島県の不動院金堂のように、仏殿の柱の足元がひととおりそろいます。時代が下るほど厚みを増し、側面の刳りも深くなる傾向が建築史の図集で整理されています(日本建築学会『日本建築史図集』。紙の資料です)。同じ中世でも和様の本堂は柱が礎石へじかに立つ例が多く、様式の分かれ目になります。
取り違えやすい相手
礎石そのものと取り違えます。地面に据えた石が礎石、その上で柱を受ける一枚が礎盤という線で分けます。礎石は地業の上に置かれて動かず、上面を平らに加工しただけの例も多くあります。礎盤は柱の径に合わせて丸くまとめられ、側面に刳りが入るのが通例です。境目が二本の水平線として見えるかどうかが目印で、東京都の正福寺地蔵堂や広島県の不動院金堂では二段の線が確かめられます。
どこに立つと見えるか
縁の外側から、床下の高さまで目線を下げます。柱の足元は縁や高欄に隠れやすく、正面からでは石と柱の境までしか見えません。堂の側面へ回り、柱筋の延長に体を置くと、円盤の側面が横から抜けて見えます。山口県の功山寺仏殿は柱間が広く、長野県の安楽寺八角三重塔は八角の各面が順に正対するため、足元の一段を確かめやすい建ちです。神奈川県の円覚寺舎利殿は覆屋の外から柱下を追います。