ポッピンを吹く娘
日本・東洋の絵
喜多川歌麿/1792〜93年ごろ
どんな絵か
若い娘が、薄いガラスの玩具「ポッピン」を口にあてて吹いている。上半身だけを大きく取り、背景には何も描かれない。市松に小花を散らした紅色の着物が、大きな曲線で下半分を占める。およそ37×25cmの大判錦絵で、『婦人相学十躰』(のち『婦女人相十品』)の一図。
どこを見るか
顔は画面の上寄りにあり、視線は左へ流れる。目鼻は細い線が数本だけで、色の量では紅の市松が画面を占める。そのなかで唇の先の淡い緑のガラスだけが補色の側に振れ、小さいのに目を引く。何も描かれない背景が視線の抜けになり、顔と手のまわりへ視線が集まる。
使われている技法
和紙への多色木版。背景は白雲母の粉を撒いて摺る「雲母摺(きらずり)」で、光の角度で銀色に光る。今に残る多くは雲母が褪せて地色に見える。顔の線は極細の彫りで、髪の生えぎわは毛割りという一本ずつの彫りで表す。
描かれた背景
寛政4〜5年(1792〜93年)ごろ、版元蔦屋重三郎から出た揃物の一図。全身を描くのが普通だった浮世絵の美人画に、上半身を大きく取る「大首絵」を持ち込んだ点が新しかった。題は途中で『婦人相学十躰』から『婦女人相十品』へ変わり、同じ図に二つの題がある。
解説動画: 蔦重と歌麿がたどり着いた美人大首絵と雲母摺/山田五郎 オトナの教養講座
どんな絵として紹介しているか: 版元の蔦屋重三郎と歌麿が組んで行き着いた先が美人大首絵で、この図はその代表として出てくる。それまでの美人画は全身を描くのが基本だったのを、上半身だけのバストショットへどんどん寄せていったと説明する。当時はポッピンではなく「ビードロを吹く女」と呼ばれていたといい、動画ではこの図を『婦女人相十品』の一図として紹介している。
摺りの贅沢: 背景は雲母摺で、白雲母を粉にして顔料として摺るから光る。当時としてはかなり贅沢な仕事だと述べる。歌麿の絵の随所で着物の柄の細かさや髪の生えぎわの細さを挙げ、絵師だけでなく彫師と摺師も上手いということだと言い添える。別の揃物では、輪郭線を引かず色の差だけで顔を出す無線摺や、紙に凹凸を残す空摺も使っていると紹介する。
大首絵を支えた写生の力: 歌麿は美人画で有名だが、根にあるのは観察と写生の力だと繰り返す。初期の虫の絵は単なる図鑑ではなく、場面ごと捉えているという。美人大首絵の顔は一見どれも同じに見えるが、よく見ると微妙に違い、おそらく実在のモデルの特徴を捉えているのだろうという。寛政三美人の三人も水茶屋の看板娘と芸者で、見分けがつくと説明する。
同じころの江戸の事情: 寛政の改革の最中の仕事だと押さえる。1791年に蔦屋重三郎は財産の半分を没収され、その二年後には評判の娘の名前を絵に書くことが禁じられた。そこで歌麿は、菜っ葉と矢と沖と田んぼを並べて娘の名を読ませるような判じ絵で応じたという。取り締まりに喧嘩を売っているとしか思えない、と評している。