凱風快晴
日本・東洋の絵
葛飾北斎/1831年ごろ
どんな絵か
画面のほとんどが富士山ひとつ。裾を大きく広げた山肌が赤茶に染まり、上には鱗雲の並ぶ濃い青空、下には暗い緑の樹海が広がる。人も建物も出てこない。およそ25×37cmの錦絵で、『冨嶽三十六景』の中でも富士だけを正面から据えた一図。
どこを見るか
頂は画面の中央より右に寄り、そこから左下へ長い稜線が伸びて、右側は短く切り立つ。左右で傾きを変えた三角構図で、対称にしないことで山が実際より大きく見える。色は上から青・赤・緑の三段で、暖色と寒色が上下で入れ替わる。空は上ほど濃く摺られ、頂の黒と白い雪筋がいちばん強く目に残る。
使われている技法
和紙への多色木版。空と山裾は版木の端を拭ってぼかす「ぼかし摺り」で、一枚の版から濃淡を出す。山肌には版木の木目が出ることがあり、平らな赤に細かい動きが生まれる。摺りの時期で空の青も山の赤も差が大きく、同じ図でも一枚ずつ表情が違う。
描かれた背景
「凱風」は夏の南風のこと。晴れた早朝、条件がそろったときだけ富士が赤く見える現象を描いたと解釈されることが多い。どこから見た富士かは甲斐側とも駿河側とも言われ、定説はない。『冨嶽三十六景』の中では神奈川沖浪裏と並ぶ看板の一図として扱われる。
解説動画: 赤富士は誰の眺めか、72歳の北斎が出した揃い物/小苑の日本史
この絵をどう紹介しているか: 凱風快晴は赤富士とも呼ばれると紹介し、次に出てくる山下白雨とともに、富士を大きく正面から据えた作品だと並べる。画面は下部に樹海、空にいわし雲、山頂には雪渓が残るという順で追っていく。題の「凱風」は夏に吹く柔らかな南風を指す言葉だと説明する。
どこから見た富士かは分かっていない: 神奈川沖浪裏・凱風快晴・山下白雨を連作の三大傑作として挙げるが、この絵も含めてどこから見た富士なのかは確定していないと述べる。甲斐の国側か駿河の国側かと問いを投げたまま置き、三作とも場所が特定できないことから、北斎独自の視点でしか見られない眺めなのかもしれないという見方を示している。
連作としての成り立ち: 『冨嶽三十六景』が出たのは1831年から34年。当初は題のとおり三十六枚の揃い物として進められたが、売れ行きがよく10枚追加されて全46枚になり、追加分は裏富士と呼ばれると説明する。富士が主役の連作だが、絵によっては富士がごく小さかったり隅にあったりするのが面白いところだと述べる。
どういう時期の仕事か: 青にはベロ藍が使われていると説明する。ベルリンの染料業者が偶然見つけた合成顔料で、地名からベルリン藍、略してベロ藍と呼ばれるようになったという。ただし藍色のすべてがベロ藍ではないとも断る。この連作を出したとき北斎は72歳、しかも中風で一度は手が麻痺した後の仕事だったと述べ、人生四十年の時代にこれは奇跡ではないかと繰り返す。