神奈川沖浪裏

日本・東洋の絵

葛飾北斎/1831年ごろ

どんな絵か

左からせり上がった大波が右へ覆いかぶさり、その下に舟が三艘。波の谷の向こうに、小さく雪をかぶった富士山が見える。紙はおよそ25.7×37.9cmで、手に持てる大きさしかない。『冨嶽三十六景』という全46図の連作の一図。

どこを見るか

まず左上の波頭に目が行き、爪のように割れた白い泡を追って右下へ落ちる。そこで舟に当たり、視線は谷の奥の富士へ着く。左上から右下への流れは対角線構図そのもので、波と富士は同じ三角構図を大小で重ねた形。動く波と動かない山が同じ形で並ぶのが芯にある。

使われている技法

色ごとに版木を彫り、和紙へ一枚ずつ手で摺り重ねる多色木版(錦絵)。輪郭を彫った主版に色版を合わせていく。青にはこの時期に輸入されたベロ藍(プルシアンブルー)が使われ、それまでの顔料にない深い青が出た。摺る時期や回数で色は一枚ごとに違う。

描かれた背景

1831年ごろ、北斎が70代前半のときに版元西村屋与八から出た一図。当時はそば一杯ほどの値段で売られた印刷物だったといわれる。浮世絵が海を渡ると星月夜のゴッホら多くの画家が夢中になり、ドビュッシーは交響詩『海』の楽譜表紙にこの図を使った。

解説動画: 波の下にある二つのもの、そして世界へ渡るまで/ふわり画報〜日本美術の世界へようこそ〜

どんな絵として紹介しているか: 通称はグレート・ウェーブだが正しい題は神奈川沖浪裏で、『冨嶽三十六景』の一枚だと説明する。連作は1830年から1833年にかけて作られ、三十六景と言いながら全46枚ある。題を今の言葉にすると「神奈川の波の下」で、波の下にあるものは二つ、荒波へ向かう漁師の船と、遠くに見える富士だと述べる。船は江戸に魚を届けた帰りに荒波へ遭った場面だという。

浮世絵とはどういうものだったか: 「浮世」は今でいう現代社会のことで、庶民の日常や流行りの役者、繁華街や名所を題材にした江戸時代のジャンルだと説明する。肉筆のものもあるが、普通は版画を指す。値段はそば一杯分ほどで気軽に買え、この連作も江戸土産として地方の人によく売れたという。北斎は海が好きだったようで、荒波だけでなく穏やかな海も繰り返し描いていると付け加える。

波はどこから来たと見ているか: 鎖国中で入ってくる情報は少なかったとしたうえで、琳派の尾形光琳の波の絵から着想を得たという見方と、西洋画の影響という見方の両方を紹介する。西洋画説の根拠は二つで、一つは構図。山に一点透視図法、海の水平線にも西洋由来の奥行きの付け方が使われている点を挙げる。もう一つは色で、テーマの紺はプルシアンブルーという輸入の合成顔料だと説明する。

世界に広まるまで: この紺は連作全46枚すべてに使われ、今では北斎ブルーとも呼ばれると述べる。存命中の人気はほぼ国内に留まったが、没後4年で鎖国体制が終わって美術品が海を渡り、1867年のパリ万博に浮世絵が出て一気に世界的になった。モネは自宅に浮世絵風の庭を作り、ゴッホは浮世絵を模写し、ドビュッシーは交響詩『海』の表紙にこの絵を使ったと挙げる。