松林図屏風
日本・東洋の絵
長谷川等伯/16世紀末
どんな絵か
松の幹と枝のほかは、紙の白がそのまま残る六曲一双の屏風。各隻156.8×356.0cmの紙本墨画で、色は一切使われていない。近づくと筆の掠れた跡が荒く、離れると霧の中の林に見える。
どこを見るか
白い部分は紙ではなく霧として見る。手前の松は濃い墨で幹まで見え、奥へ行くほど墨が薄くなって輪郭が消えていく——空気遠近法を墨の濃さだけでやっている。左隻の遠くには淡い山影があり、そこが視線の抜けになる。中央に主役を置かないので、目は左右の松のかたまりを往復する。
使われている技法
紙本墨画。墨の濃淡だけで、トーンの幅を端から端まで使い切っている。穂先の揃わない粗い筆で描かれ、掠れをそのまま残した線が松葉になる。塗り重ねて直した跡がなく、一度で置いた墨が画面にそのまま残る。水墨画の中でも異例に省略が進んだ一双。
描かれた背景
東京国立博物館蔵の国宝。障壁画のための下絵ではないかという見方と、屏風として仕上げたものだという見方があり、定説は割れている。紙の継ぎ方が不揃いな点は下絵説の根拠になるが、最高級の墨が使われている点は下絵説と噛み合わない。長男を亡くした前後の作と結びつける読み方もあるが、確証はない。
解説動画: 墨の濃淡だけで松林の奥行きをつくった屏風/美術史チャンネル
どんな屏風として説明しているか: 六曲一双の屏風に、紙と墨だけで松林を描いた作品として紹介している。おそらく早朝の朝もやが出る時刻の景色で、10本ほどの松が四つのまとまりに分けられ、右隻と左隻に二つずつ置かれていると説明する。作者の長谷川等伯は16世紀後半にこれを描いた絵師で、桃山から江戸初期にかけて活躍し、やがて狩野永徳の一門と張り合うまでの力をつけたとしている。
墨の濃さで前後を分ける: 手前の松と奥の松を、墨の濃さだけで描き分けている点に注目している。手前の枝葉は濃い墨で、跳ねるような筆遣いに先細るタッチと幅広のタッチを併置して松の端まで表す。すぐ左隣にある奥の松は薄い墨で、枝や葉のタッチも不明瞭になる。左隻の上部では空を薄墨で掃き、残した余白がそのまま雪山になっていて、冬へ向かう季節の冷たさを感じさせると述べている。
同じ館の浜松図屏風と比べる: 同じ東京国立博物館にある室町時代の浜松図屏風を並べ、そちらは金の雲や豊富な色彩を使い、松以外の草花が十数種類、小鳥が六十数羽、人物まで描き込まれていると説明する。多様なモチーフで彩る当時の主流に対して、松だけを墨で描く松林図は類例をほとんど見ない表現だったと位置づけている。
屏風を立てたときの効果と制作の謎: 左へ傾く松は、屏風を立てて折ったときに手前から奥へ折り込まれる位置にあたり、折り目の立体をそのまま奥行きに使っていると見ている。松の根元には墨が下へ垂れた跡があり、紙を床に平置きせず立てて描いた可能性を挙げる。垂れを残す描き方は注文主のいる仕事らしくないとして、襖絵の下絵を屏風に仕立て直したという説や、息子を亡くした悲しみの中で自分のために描いたという説を紹介している。