大はしあたけの夕立
日本・東洋の絵
歌川広重/1857年
どんな絵か
縦長の紙に、隅田川へ架かる新大橋を斜めに置き、通り抜ける夕立を描く。橋の上では人が背を丸めて走り、川面には筏を操る人がひとり。上は濃紺、下は藍の川。およそ37×25cmの大判錦絵で、『名所江戸百景』の一図。
どこを見るか
橋が左下から右上へ渡り、対角線構図が画面を二つに割る。目は手前の黒い橋げたからのぼって、傘の人、笠の人へと順に進む。雨は太さと角度の違う直線を反復とパターンのように重ねたもので、画面全体に薄い膜がかかる。対岸は空気遠近法ではなく、ただ灰色に沈めて消される。
使われている技法
和紙への多色木版。空の上端と川の下端は版木を拭いてぼかす「ぼかし摺り」で暗くし、上下から画面を締める。雨は細い線を彫った版を角度を変えて摺り重ねたもので、線の交差が雨脚の密度になる。摺師の腕がそのまま出る図。
描かれた背景
1857年(安政4年)、広重が晩年に手がけた『名所江戸百景』の一図。「あたけ」は幕府の御座船が繋がれていた対岸の呼び名。線だけで降らせる雨は当時の西洋の絵にほとんど例がなく、ゴッホはこの図を油彩で模写している。浮世絵が印象派へ渡っていく道筋がよく見える一枚。
解説動画: 線で降らせた雨と、それを支えた彫師と摺師/ジャパンディスカバリー【海外の反応】
この絵の何に驚いたと言っているか: 約170年前にパリへ渡ったこの一枚を見て、西洋の画家たちが息を飲んだと語る。西洋も雨を描いてきたが、暗い雲や濡れた地面、濁った空気を通して雰囲気で伝えるやり方だった。広重は雨そのものを画面の主役にし、斜めに走る無数の線で降らせている。しかもそれが油彩でも水彩でもなく、木の板を彫って摺った版画だと知って、さらに驚いたと説明する。
線と青を作った職人たち: 浮世絵は絵師・彫師・摺師の共同作業だと繰り返す。下絵は硬い桜の板に貼られ、力加減がわずかに狂えば線は途切れる中で彫師が雨を刻む。摺師は何枚もの版を紙をずらさずに重ね、その日の湿度と絵具の水分を手の感覚で見極めて空と川のぼかしを出す。当時広まっていたベロ藍も、北斎が強く鮮やかに使ったのに対し、広重は湿り気のある静かな青へ振ったと述べる。
描かれた背景: 1855年の大地震で江戸の町が崩れ焼けたことに触れ、六十歳近い広重が晩年に取り組んだのが『名所江戸百景』だと説明する。大はしあたけの夕立はその一図で、橋の上の誰も立ち止まっていない点を挙げる。激しい雨に打たれながらそれでも向こう岸へ進む姿を、災害のあとを生き抜く江戸の庶民に重ねて読んでいる。
ヨーロッパへ渡ってから: 西洋の画家たちが受け取ったのは引き算の美学だと述べる。全部を描かず、説明せず、想像の余白を残す。雨粒を一つずつ描き込まずに細い線を数本走らせ、遠景をかすませ、人の動きを少し変えるだけで、音や濡れた着物の重さまで見る側が感じ取ってしまう。画面の端で人物を切る構図もそこに含まれ、ゴッホがこの図を油彩に写していると紹介する。