動植綵絵

日本・東洋の絵

伊藤若冲/1757〜66年ごろ

どんな絵か

鶏、魚、草花、虫を描いた30幅の連作。1幅は縦およそ142cm・横およそ79cmの絹本著色で、掛軸としてはかなり大きい。どの幅も画面が生き物で埋まっていて、余白がほとんどない。30幅がそろって一組をなし、公開は一部ずつ入れ替えて行われる。

どこを見るか

1幅ずつが密度で押してくる。群鶏図では十数羽の鶏が重なり合い、羽根が一枚ずつ描き分けられていて目の逃げ場がない。同じ形を並べて画面を埋める作りは反復とパターンそのもので、群魚図の魚の連なりにも同じ手が効いている。地の色を沈め、生き物の彩度だけを上げてある。

使われている技法

絹本著色。表から塗るだけでなく、絹の裏側から色を置いて表へ透かせる裏彩色を使い、白や赤に厚みを出している。当時まだ珍しかったベロ藍(プルシアンブルー)を日本で初めて使った例とされる。絹は薄いので、明度の調整が裏表の両方から効く。

描かれた背景

宝暦7年(1757年)ごろから明和3年(1766年)ごろまで、約10年をかけて描かれた。若冲は両親と弟、そして自身の永代供養を願ってこれを相国寺に寄進した。相国寺は1889年に明治天皇へ献納している。現在は皇居三の丸尚蔵館の所蔵で、2021年に国宝に指定された。

解説動画: 動植綵絵三十幅の成り立ちと、裏彩色がつくる色/ふわり画報〜日本美術の世界へようこそ〜

どんな連作として説明しているか: 30幅の連作で、1757年から1766年ごろ、若冲が四十代前半から五十歳までのほぼ十年をかけて描いたと説明する。釈迦三尊像とともに相国寺へ納めたもので、1765年に24幅を寄進した際の文の現代語訳を読み上げる。そこには、世間の評価を得たいという軽薄な志ではなく、寺に寄進して永く伝わればと記されている。

絹の裏から色を置く: 絹に描き、表からだけでなく裏面からも色を塗ることで色合いを作っていると説明する。芍薬と蝶の幅では、一番上の三匹の蝶だけ裏彩色をしていないため透明感が出て、遠くにいることや光が透けている感じになるという。当時の日本画は輪郭線を引くのが普通だったが、若冲は輪郭線のないものが多い。絵具は最高級品で退色が少なく、今も色が鮮やかだと述べる。

鶏と雪をどう描いたか: 群鶏図には13羽の鶏が描かれ、渦巻く羽の模様と何かを凝視する目つき、鶏冠の色の対比が生々しいと述べる。若冲は庭に数十羽の鶏を飼って観察と写生を重ねており、身近な鶏を主題にするのは当時としては冒険だったが、その積み重ねで新しい表現に届いたという。雪の幅では溶けかけの雪をとろりと粘着質に描き、雪と葉を塗り分けて下絵の段階から計算していたと説明する。

視点のずれと、琳派との重なり: 蓮池の幅では、睡蓮を見ると上から見下ろし、魚を見ると水中で真横から見ている感覚になり、一枚に複数の視点が混ざると指摘する。終盤の紅葉の幅が描かれた1766年ごろは琳派が流行っていた時期で、同じ形を繰り返す作りに琳派の要素を取り入れていたのかもしれないと述べる。葉の形はほぼ同じでも、色の付け方は一枚ずつ違う。