記憶は録画のように残る説

脳の思い込み

見たことはそのまま記録され思い出せば再生されるという説

よく言われること

「見たことは頭のどこかにそのまま記録されているので、思い出せないのは探せていないだけだ」「強く印象に残った出来事は再生するように蘇る」という言い方です。催眠や特別な訓練で元の映像を取り出せるという話も、同じ前提の上に立っています。証言をめぐる議論や、昔の思い出を家族で確かめ合う場面でも、この前提が置かれたまま話が進みます。

実際はどうか

思い出すことは再生ではなくその場での組み立て直しで、符号化と想起のうち想起の側が記憶そのものを変えます。後から入った情報が混ざり込む誤情報効果は、目撃証言の研究でくり返し報告されています。鮮明さと正しさは別で、はっきり思い出せることは正確さの証拠になりません。忘れることも異常ではなく、覚えた場面と思い出す場面のずれから生まれる自然な結果です。

なぜ広まったか

録画という喩えは仕組みを一言で言い切れるので使いやすく、日常の実感とも合います。作り替えられた跡は本人には見えないので、書き換わった証拠が残りません。忘れた経験は自覚できても、内容が変わった経験のほうは自覚できません。記録として残っているという前提は、何度も読み返して覚えるという勉強のしかたも下から支えています。

どう言えば正しいか

「記憶は記録ではなく、思い出すたびに組み立て直されるものです」と言い直すと、研究の言い方に近づきます。想起そのものが記憶を変えるので、思い出す練習が効くしくみの一部でもあります。当てにならないから記録を取れという話ではなく、食い違いが起きる場面を知るという使い方をします。食い違いに気づいたときに、どちらかが嘘をついたと決めつけずに済みます。

確かめられ方

Simons と Chabris の2011年の調査は、米国の代表標本で63%が「記憶はビデオカメラのように働く」という文に同意し、半数近くが記憶は永続すると答えたと報告しています。測ったのは一般の人が何を信じているかで、いずれも専門家の見方と食い違う項目でした。記憶に後から情報が混ざること自体は Loftus らの誤情報効果と目撃証言の研究で示されていますが、個々の思い出の真偽を判定できるものではありません。

解説動画(海外・英語): How reliable is your memory? | Elizabeth Loftus/TED

録画ではない: 講演はまず、多くの人が記憶を録画装置のように考えていると指摘します。見たことはそのまま記録され、必要なときに呼び出して再生できるという前提です。数十年の心理学の研究はそうではないと示していて、記憶はその場で組み立て直されるものだと述べます。喩えとして出てくるのは、自分も他人も書き換えられるウィキペディアのページです。

聞き方で変わる: 1970年代の実験では、模擬の事故の映像を見せたあとで「ぶつかったとき」と聞くか「激突したとき」と聞くかを変えました。激突と聞かれた人は車が速く走っていたと答え、さらに現場に無かった割れたガラスを見たと答える人も増えました。標識の実験でも、質問の言い方に沿って停止標識を別の標識だったと語る人がいました。

強い体験でも: 映像では間違っても、強い出来事なら間違わないのではないか——講演はその問いに、捕虜になった場合に備える訓練を受けた米軍の隊員を調べた研究で答えます。30分間の厳しい尋問を受けたあと、別人だと示唆する情報を与えると、多くが尋問した相手を似てもいない人と取り違えました。日常でも、他の証人の話や報道が同じように混ざり込むと述べます。

植えつけられる: 心理療法の場で見た手続き——想像させる練習、夢の解釈、催眠、誤った情報を与えること——を模した示唆で、子どもの頃に迷子になったという出来事を偽の記憶として植えつける実験も紹介されます。成功したのはおよそ4分の1でした。植えた記憶は後の行動にも残り、その食べものを避けるようになったと述べます。

裏づけを取る: DNA鑑定で無罪が示された300人の事例を分析すると、4分の3が目撃記憶の誤りによるものだったと紹介されます。締めくくりは、自信たっぷりで、細部が多く、感情を込めて語られても、それが実際に起きた証拠にはなりませんという一文です。語りから真偽は見分けられないので、独立した裏づけが要ると述べます。