意図的練習
体で覚える
弱いところを狙って、直しながら回数を積む
どんな技?
回数を積むのではなく、今できていない一点を選んでそこだけを狙います。直近の失敗から一つ取り出し、その一点しか出てこない短い練習を組み、終わったその場で狙いどおりだったかを照合します。計算なら符号の取り違えだけ、発表なら出だしの数十秒だけという細かさです。狙いを紙に一行書いてから始めるところが、ただの反復と分かれます。
なぜ効くのか
通しでやると弱い箇所は全体の中に埋もれ、できた感触だけが残ります。狙いを一つに絞れば見るところが決まるので、メタ認知の判断が具体的な一点まで降りてきます。外した形がその場で見えるため、次に直す狙いもそこから選べます。ただし筋が通っていることと効き目の大きさは別の話で、練習量で説明できる割合は分野ごとに大きく違います。
やり方
記録を見て直したい一点を選び、15分から30分の枠にその一点だけを入れます。終わりには答え合わせをする手順を欠かさず付け、外した形を書き残してから次の狙いを決めます。狙いが細かすぎて全体が通らなくなったら、分けて練習と通しで練習の切り分けに戻ります。一週間で3回か4回の枠を置き、一回に置く狙いは一つまでにします。
はまりどころ
集められているのは練習量と成績の相関なので、やり方を変えればその割合ぶん伸びる、という読み方はできません。学業は4%、職業は1%未満なので、資格の勉強に1万時間の法則の総量の話を持ち込む理由にもなりません。分野ごとの差が何から来ているのかも、この数字だけからは分かりません。コーチや教材を買う根拠にもならず、狙いを決めて直す手順の部分だけが手元に残ります。
確かめられ方
Macnamara らが2014年に集めたメタ分析は、成績のばらつきのうち練習量で説明できた割合をゲームで26%から職業で1%未満までと報告し、音楽21%・スポーツ18%・学業4%が間に並びました。扱われたのは練習量と成績の相関で、やり方を変えた実験ではありません。2019年の再検証は、Ericsson ら1993年の中核の主張を支持しませんでした。
解説動画(海外・英語): Is deliberate practice all wrong?/Benjamin Keep, PhD, JD
ただの反復と違う: 動画はまず、90年代の初めに Ericsson らが専門家と愛好家の差を調べたところから始めます。プロと愛好家のバイオリン奏者を比べると、プロの側は指導者が要となる技を見きわめ、本人はいちばん手こずる箇所を練習し、自分の練習を振り返り、指導者から手応えを受け取ってまた練習に戻る形を取っていました。毎日30分ピアノに向かうだけの時間とはここが違う、と述べます。
三割か九割か: この考えが広まったあと、Hambrick らが練習と成績を結んだ研究を集めて分析します。成績のばらつきのうち練習で説明できたのはおよそ30%で、残りは作業記憶の容量や生まれつきの要素、育ち方、まだ分かっていないものだとされました。Ericsson の側は90〜95%に近い立場で、ほぼ同じ研究を別のやり方で集め直し、自分の見方を支える結果を出しています。
理由は三つある: 動画は食い違いの理由を三つ挙げます。一つめは問いが二つあることです。研究者が知りたいのは、なぜある集団だけが専門家になるのかという科学の問い。教える側が知りたいのは、どう学びの場を組み立てれば速く伸びるのかという設計の問いです。説明できる割合が30%どまりでも、この考え方に沿って場を組むのが最善でありうる、と述べます。
定義がゆるい: 二つめは定義の緩さです。指導者にしか設計できないものに読めるときもあれば、学ぶ側が自分で組めるものに読めるときもある。チェスやつづり字の競技では一人でやる練習を指し、ラグビーでは集団でやること自体が要の技になります。緩いままだと「うまくいかなかったのは本物ではなかったから」という後づけの言い訳になる、と動画も認めます。
数字は信じない: 三つめは測り方で、メタ分析には練習の総時間しか測っていない研究も入っており、つづり字の競技では「一人で単語を眺めた時間」がその代わりにされていました。測るのが難しいぶん間接的な指標に頼り、そこに成り立たない前提が混じります。だからどちらの数字も信じないとし、専門家になる大きな一部ではあるが、練習には濃淡の目盛りがあると結びます。