層塔型天守
天守の形
時代: 江戸
同じ形の平面を、規則的に小さくしながら積み上げた天守です。入母屋の大屋根を持たないぶん屋根の稜線がそろい、下から上まで一続きの逓減として見えます。
何のためのものか
各重の平面を相似のまま縮めて重ねる天守で、下に入母屋造の大屋根を置きません。同じ形を繰り返すぶん部材の寸法と手順が整理でき、高さのある建物を短い工期で組み上げられます。慶長期以降の築城で広まり、天守を一棟の塔として設計する考え方がここで定着しました。青森県の弘前城天守、愛媛県の宇和島城天守がこの形で建ち、香川県の丸亀城天守も同じ組み立てです。天守を櫓や御殿の延長として作る段階が、ここで終わります。
見分けの決め手
屋根の稜線を下から目で追い、縮み方が一定かどうかを確かめます。層塔型では各重の軒の出と屋根の勾配がそろい、上へ行くほど一定の割合で小さくなります。愛媛県の宇和島城天守は三重三階で、三段の屋根が同じ形のまま縮みます。千鳥破風や唐破風は後から足せるため、破風の有無では決まりません。青森県の弘前城天守は城外へ向く二面にだけ破風の付いた出窓を設け、本丸の内へ向く面は飾りのない壁面のままです。
いつ頃のものか
慶長年間(1596〜1615)以降に広まった形です。藤堂高虎が生み出したとする説は近世の編纂物に由来し、出どころによって最初の城として挙げる名が違うため、誰が始めたかはまだ定まっていません。青森県の弘前城天守は1810年(文化7年)の建造で、江戸後期まで層塔型が続いたことを示します。愛媛県の宇和島城天守は寛文年間の再建とされ、長野県の松本城天守を望楼型からの過渡期とみる説もあります。
取り違えやすい相手
望楼型天守と取り違えます。最下重に入母屋の大屋根があるかを先に見て、無ければ層塔型へ寄せて考えます。判断が割れるのが長野県の松本城天守で、五重六階の逓減はそろう一方、古い手法を残すとみる説があり、分類は一つに定まっていません。破風を足して望楼型のように見せた天守もあるため、香川県の丸亀城天守のような飾りの少ない層塔型と見比べると、差が出ます。
どこに立つと見えるか
建物の正面ではなく、角が手前に来る位置に立ちます。角から見ると各重の隅が縦に並び、縮み方がそろっているかを一度に確かめられます。青森県の弘前城天守は本丸側と外側で見え方が違い、飾りの付く面と付かない面を回って比べられます。香川県の丸亀城天守は高い石垣の上に建つため、坂の途中からでは屋根の段が重なって数えにくく、平場まで出てから見上げる位置になります。