御三階櫓

天守の形

時代: 江戸

天守と称さずに建てられた、三重の櫓です。江戸幕府の下で天守の新造がはばかられた藩が、実質の天守として天守台の上に建てました。

何のためのものか

天守と称さずに建てられた三重の櫓で、城の中では実質の天守として使われました。武家諸法度が城の新築と修理を届け出の対象にしたため、藩は同じ規模の建物を櫓の名で建てています。青森県の弘前城天守と香川県の丸亀城天守は、指定名称が天守でも藩の記録では御三階櫓などと呼ばれました。名と実が食い違うのがこの項目の勘どころで、建物の格と呼び名は別に見ます。

見分けの決め手

三重の櫓が、独立した高い石垣の上に建っているかを見ます。本丸の内にあって、周囲の櫓より格の高い破風や飾りを持つものは、天守として扱われた建物です。香川県の丸亀城天守は城下から見える北面に唐破風と千鳥破風を寄せ、他の面は簡素なままです。同じ三重でも、塁線の折れの上に載る隅櫓は別の建物として数えます。見るのは立つ位置と格式の二つです。

いつ頃のものか

1615年(元和元年)の武家諸法度以降に建てられたものが中心です。青森県の弘前城天守は1810年(文化7年)、香川県の丸亀城天守は1660年(万治3年)の完成と伝えられます。新潟県の新発田城と福島県の白河小峰城の三重櫓は近年の木造復元で、江戸期から建ち続けている建物ではありません。御三階櫓・三階櫓・三重櫓のどれを正式な呼称とするかは、まだ定まっていません。

取り違えやすい相手

天守台に建たない三重の隅櫓がまぎらわしい相手です。建つ位置と破風の格式の二つを見ます。愛知県の名古屋城西北隅櫓、広島県の福山城伏見櫓、兵庫県の明石城坤櫓はいずれも三重三階の重要文化財ですが、曲輪の隅を固める櫓であって、天守として扱われた建物ではありません。足元が独立した天守台か、塁線の一部かで見分けます。東京都の江戸城富士見櫓は、天守が失われた後に代用とされたと伝えられ、呼び名の出どころは史料ごとに違います。

どこに立つと見えるか

本丸の中心から離れ、櫓の立つ石垣ごと視界に入る位置まで下がります。天守台か塁線の一部かは、足元の石垣の形でしか判断できません。青森県の弘前城天守は本丸の内側から、面によって飾りの量が違うところまで回って見られます。愛知県の名古屋城西北隅櫓は水堀の外側から、兵庫県の明石城坤櫓は南の広場から、石垣ごと見上げられます。香川県の丸亀城天守は高い石垣の上にあり、平場まで出ると櫓と石垣がそろって収まります。