連立式天守
天守の形
時代: 江戸
天守と小天守や隅櫓を、渡櫓で環状につないだ形です。輪の内側に天守曲輪と呼ばれる中庭ができ、外からは壁と屋根が切れ目なく続いて見えます。
何のためのものか
天守と小天守・隅櫓を渡櫓で輪につなぎ、内側に中庭を囲い込む形です。この中庭を天守曲輪と呼びます。輪の外周がそのまま塀の役目を果たし、中庭へ入るには限られた門を通るしかない構えになります。天守を一棟だけで守るのではなく、天守を含む一区画をまとめて守る考え方です。兵庫県の姫路城と愛媛県の伊予松山城がこの形で、指定もひと続きの建物群として扱われています。
見分けの決め手
建物の外周をたどり、屋根が途切れずに一周して戻るかを見ます。戻れば連立式です。兵庫県の姫路城は大天守・東小天守・西小天守・乾小天守と、イ・ロ・ハ・ニの渡櫓の8棟が国宝に一括で指定され、輪の内側に中庭が残ります。外周と中庭側で壁の見え方が違い、内側にも窓が並びます。愛媛県の伊予松山城も天守と隅櫓を渡櫓で結んで中庭を囲みます。一方向から見ただけでは、輪の閉じ方は分かりません。
いつ頃のものか
1600年代初め以降に成立した形です。兵庫県の姫路城の大天守は1609年(慶長14年)の建造とされ、周囲の小天守と渡櫓も同じ普請でそろいます。愛媛県の伊予松山城天守は1854年(安政元年)の再建で、江戸期に建てられた天守のなかでは新しい部類に入ります。和歌山県の和歌山城も連立式でしたが、1945年に失われ、いまの建物は戦後の再建です。
取り違えやすい相手
取り違えるのは連結式天守です。上から見た輪が閉じるかどうかが分かれ目で、連結式は一列や鉤の手で終わり、内側に囲まれた庭ができません。地上から一方向だけ見ると、連結式でも建物が重なって輪のように見えます。兵庫県の姫路城では中庭に面した内側の壁面が見え、愛媛県の伊予松山城では本壇の中に入ると囲いの内側が分かります。和歌山県の和歌山城も同じ見方です。
どこに立つと見えるか
輪の外側を半周してから、門をくぐって中庭側に立ちます。外からは連なる屋根、内からは囲われた壁面と、同じ建物の裏表が見えます。兵庫県の姫路城は西の丸から大天守と小天守の重なりが読め、愛媛県の伊予松山城は本壇の入口が輪の切れ目になっています。順光の時間に外周を回ると、渡櫓の窓の並びまで追えます。和歌山県の和歌山城は中庭に立つと輪の形が分かります。