内陣と外陣
堂内で見るもの
時代: 平安
同じ堂の中が、仏の場と人の場に分かれています。境には格子や欄間が立ち、床の高さも天井の作りも内と外で変わるため、境目の一列を見つければ平面が読めます。
どんな建物・部材か
仏を据える内陣と、人が座る外陣に分かれた平面を指します。古代の金堂には無い区分で、外陣は礼堂とも呼び、平安の中ごろから堂の正面側に加わりました。滋賀県の石山寺本堂は平安の正堂の前へ慶長7年(1602年)に礼堂を建て足した形で、二つの屋根が合の間でつながる姿が外からも読めます。長野県の善光寺本堂は内陣の奥へさらに内々陣を設け、京都府の大報恩寺本堂は安貞元年(1227年)の建立です。
見分けの決め手
内と外の境に立つ一列を、床と天井の両方で確かめます。境には格子や欄間が入って結界となり、内陣の床が一段高い堂がある一方、滋賀県の延暦寺根本中堂のように内陣を一段低い土間とした堂もあります。天井も内と外で分かれ、内陣は格天井や折上、外陣は化粧屋根裏や竿縁で仕上げる例が多く見られます。仕切りの位置は正面の柱筋と一致しないことがあり、柱間を数えるだけでは境は決まりません。
どの様式に属するか
和様の本堂で定型になった平面です。密教と浄土の堂で礼堂が育ち、鎌倉以降は折衷様の本堂にも引き継がれました。兵庫県の鶴林寺本堂は応永4年(1397年)の建立で、和様に禅宗様の細部が交じる折衷様として説明されます。いっぽう禅宗様の仏殿は一室の土間で、内と外を隔てる結界を持たないのが通例です。境の有無そのものが、様式を分ける手掛かりになるので、堂の名ではなく平面で見ます。
取り違えやすい相手
内陣の奥をさらに区切る後戸まわりと、外陣の前へ張り出す向拝が相手です。仕切りが本尊の手前か奥かで分かれます。後戸は本尊の背面と壁との間にできる細長い空間で、内陣の内側にある区切りです。向拝は屋根が前へ下りて庇となる外の部分で、履物を脱ぐ前の場所にあたります。正面から段が三つ並ぶときは、手前が向拝の下、次が外陣、奥が内陣という順になります。
どこに立つと見えるか
向拝の下から一歩下がり、正面の柱間と建具の違いを横に数えます。多くの堂で外陣側は蔀や格子戸、内陣側は壁や板扉になり、建具の切り替わる位置が境の目安になります。堂の中は撮影が禁じられている寺が多いので、外から平面を当てる読み方が要ります。長野県の善光寺本堂は側面へ回ると棟がT字に組む撞木造の形が見え、奥行きの深さが外からも分かります。堂内へ入れる範囲は寺ごとに違います。