竹簡にだけある篇
成り立ちと読まれ方
篇: 銀雀山漢墓竹簡『孫子兵法』下篇
竹簡にだけある篇は、銀雀山の竹簡『孫子』に並ぶ、現行の十三篇に無い「呉問」などの篇名について、整理者がどう見たかを確かめる項目。
原文と書き下し
整理小組は、「《吳問》…此類問答形式的文體是十三篇所沒有的、但見於《通典》等書所引《孫子》佚文中」(『呉問』…この問答の形式の文体は十三篇には無いが、『通典』などが引く『孫子』の佚文には見える)、「《黃帝伐赤帝》篇首有『孫子曰』…當是《孫子》佚篇」、「《四變》是解釋《九變》篇」と述べる。
原文の意味
谷中信一の紹介によると、1975年版の目次で竹簡本『孫子兵法』の下篇に挙がる篇名は、呉問・四変・黄帝伐赤帝・地形二・見呉王である。整理小組は、『呉問』は問答の形で、十三篇にはない文体だが『孫子』の佚文にはこの形があること、『黄帝伐赤帝』は篇の初めに「孫子曰」とあり『孫子』の佚篇と見られること、『四変』は『九変』篇を解説した篇であることを挙げる。論文は竹簡本『孫子兵法』を「十三篇及び佚文四篇と篇題木牘1枚」とまとめており、目次の篇名の数とこの四篇の数え方の関係は、論文の記述からは分からない。
篇の中での流れ
十三篇と、この佚文がどうつながるかは、『漢書』の八十二篇との関係にもかかわる問題として残る。
注釈で読みが割れるところ
整理小組は、竹簡本を『孫子』十三篇の「足本」(完全な形の本)に当たるとみる。一方で、竹簡の損傷が大きく、全篇の原状は完全には復元できないとも述べる。
よくある言い換えとのずれ
「竹簡が出て『孫子』は十三篇で完結していたと分かった」とまとめられることがあるが、整理小組が示すのは、十三篇のほかに、『孫子』の佚文と見られる篇が同じ竹簡群に含まれていた、という状況である。