孫武と孫臏
成り立ちと読まれ方
篇: 『史記』・『漢書』藝文志
孫武と孫臏は、『史記』も『漢書』も別の人・別の書として立てる二人の「孫子」を、どう区別してきたかを確かめる項目。
原文と書き下し
『史記』は孫武の伝のあとに「孫武既死、後百餘歲有孫臏」(孫武既に死して、後百余歳にして孫臏有り)と書き、「臏亦孫武之後世子孫也」(臏も亦た孫武の後世の子孫なり)と続ける。『漢書』藝文志は兵書略の兵権謀に「吳孫子兵法八十二篇」と「齊孫子八十九篇」を別々に載せる。
原文の意味
『史記』は孫武と孫臏を、百年余り隔たった別の人物とし、孫臏を孫武の後の世の子孫と書く。『漢書』藝文志も、呉孫子と斉孫子を別の書として挙げ、兵書を権謀・形勢・陰陽・技巧の四種に分けた兵権謀の項に並べる。『孫子』と『孫臏兵法』は、書名の上でも別々に立てられている。
篇の中での流れ
『史記』の列伝では孫武、孫臏、呉起の順に並ぶ。『漢書』藝文志の兵書略は、任宏が兵書を四種に整理したと記す。
注釈で読みが割れるところ
作者をめぐっては、『孫子』は本当に春秋末期の孫武の作なのか、戦国中期の孫臏の作なのか、そもそも孫武は実在したのか、という論争が長く続いた。谷中信一は、銀雀山で『孫子兵法』と『孫臏兵法』が同時に出土したことが、この論争に決定的な終止符を打つとされたと紹介する。ただし出土した『孫臏兵法』の整理では、文中に「孫子」とだけある篇を、孫臏を指す可能性が高いとして暫定的に『孫臏兵法』へ分類しつつ、『孫子』の佚文である可能性も排除できないと注記されており、帰属が定まらない部分が残る。
よくある言い換えとのずれ
「孫子と言えば孫武のこと」と一言で言われることがあるが、それは『史記』『漢書』の書き方に沿った伝統的な言い方で、『孫子』の作者が誰かを、この項では言い切らない。