『史記』の孫武伝

成り立ちと読まれ方

篇: 『史記』孫子呉起列伝

『史記』の孫武伝は、孫武の経歴を伝える主な記述として引かれる、『史記』孫子呉起列伝の孫武の部分。

原文と書き下し

「孫子武者、齊人也。以兵法見於吳王闔廬」(孫子武なる者は、斉の人なり。兵法を以て呉王闔廬に見ゆ)。闔廬の言葉は「子之十三篇、吾盡觀之矣」(子の十三篇、吾尽く之を観たり)。結びは「西破彊楚、入郢、北威齊晉、顯名諸侯、孫子與有力焉」(西のかた強楚を破り郢に入り、北のかた斉・晋を威し、名を諸侯に顕すに、孫子与りて力有り)。

原文の意味

『史記』は孫武を斉の人とし、兵法を持って呉王闔廬に会ったと書き出す。王が「あなたの十三篇は全部読んだ」と言い、宮中の女たちで試しに軍を動かしてみせよと求める。孫武が女たちを二隊に分けて演習を始め、合図に従わず笑った隊長役(王の寵姫)を処刑し、以後は隊が秩序立って動いた、という逸話が続く。結びには、呉が西で強い楚を破って郢に入り、北で斉・晋に威を示したことに、孫武が力があったと書かれる。

篇の中での流れ

この巻は孫武・孫臏・呉起の伝を一つの巻に収める列伝で、孫武の部分は逸話が中心である。戦の年代や、個々の戦いの経過の記述は無い。

注釈で読みが割れるところ

宮女の逸話が史実かどうかは、『史記』の記述だけでは確かめられない。谷中信一は、論争の背景として、孫武については『史記』孫武伝に見える逸話が語られるだけで、実在まで疑われていたと述べる。

よくある言い換えとのずれ

「孫武は呉王に仕えて楚を破った軍師」という筋で語られることがあるが、『史記』の孫武伝が書いているのは、十三篇を呉王が読んだこと、宮女の演習の逸話、結びの一句までで、戦の経過は書かれていない。