われわれはどこから来たのか

ポスト印象派

ポール・ゴーギャン/1897〜98年

どんな絵か

横に長い一枚。約139×375cmはゴーギャンの絵で最大とされる。青緑に沈んだ木立の下に十数人と犬・山羊・鳥が並び、右端の眠る赤ん坊から左端のうずくまる老女まで、人の一生がひと続きに置かれる。前に立つと横に歩きながら見る絵になる。

どこを見るか

右から左へ読む絵とされ、右端の眠る赤ん坊、中央で果実に手を伸ばす人物、左端の老女の順に目が動く。立っているのは中央の一人だけで、明るい肌色が画面の山場になる。左の青い像と暗い森がシャドウ側を受け持ち、その奥へ視線の抜けが開く。上の両隅は黄色く塗り残され、左に題名、右に署名と年が入る。

使われている技法

布に油彩。タヒチで上質なカンヴァスが手に入らず目の粗い袋地を使ったといわれ、織り目が絵の具越しに残る。影で立体をつくらず平らな色面を並べるので、壁画のような見え方になる。彩度を落とした青緑と黄でまとめ、輪郭は太い線で囲む。

描かれた背景

1897年、娘の死と病と借金に追われたタヒチで描かれた。完成の直後に自殺を図ったことが友人モンフレイド宛の手紙から分かっており、最後の一枚のつもりだったと読まれることが多い。人物ひとりひとりが何を指すかは本人も説明を避けており、意味づけは定まっていない。1936年からボストン美術館にある。

解説動画: 遺書のつもりで描いた大作と、逆に流れる時間/山田五郎 オトナの教養講座

どういうつもりで描いた絵と説明しているか: 2度目のタヒチ滞在は最初ほどうまくいかず、足の粉砕骨折の痛みや病で入退院を繰り返し、現地の妻が産んだ子も、離れて暮らす長女アリーヌも亡くしたと語る。もう死のうと決めたが、死ぬ前に遺書代わりの集大成を描いてから死にたいと考えて描いたのがこの絵で、画面が大きいのもそのためだと説明する。描いた後にヒ素を飲んで自殺を図り、未遂に終わったという。

画面の読み方: 画面は大きく3つの場面に分かれていて、キリスト教の三連祭壇画の形式を踏まえていると見る。ただし時間の流れが逆で、右から左へ進む。右で赤ん坊が生まれ、中央では果実に手を伸ばすアダムとイヴのような場面があり、左は最後の審判にあたる位置だが地獄とは限らない様子になっている、という読み方を示している。

輪になる時間: 左にいる像はタヒチの月の女神ヒナだとして、ここから先はポリネシアの信仰の領域だと説明する。老婆の先にまた少女がいて、時間の輪ができている。最後の審判へ向かう直線的なキリスト教の時間に対し、こちらは何度も生まれ変わる循環する時間で、ニーチェの永劫回帰にあたるという解釈を示す。西洋絵画の伝統もタヒチの信仰も、自分で編み出した色や形の扱いも全部ここに入れたのだと述べる。

発表したときの反応: 完成後、この絵を含む8点をパリに送り、画商ヴォラールの店で展覧会を開いたと語る。ほかの7点は評判が良かったのに、渾身の大作であるこの絵だけが不評だったといい、ゴーギャンはますます落ち込んだという。パリで彼が大きく評価されるのは死の前後で、金が届いた頃にはもう力が残っていなかったとまとめている。