ムーラン・ルージュにて

ポスト印象派

アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック/1892〜95年

どんな絵か

パリのダンスホールの店内。手前のテーブルを五人が囲み、奥では鏡の前で女が髪を直している。右端では顔を下から照らされた女が画面の外を見る。舞台ではなく客席の側を描いた絵で、123×141cmのカンヴァス。シカゴ美術館にある。

どこを見るか

左端から画面の下へ大きな手すりが斜めに下り、その向こうにテーブルの一団が座る。客席をのぞき込む形をつくる対角線構図で、手すりを越えるとテーブル、さらに奥の鏡へ目が進む。人物はどれも中心を外れ、右端の女は顔が切れる寸前で止まる。この緑がかった顔が周りの茶や赤と補色でぶつかる。

使われている技法

カンヴァスに油彩。絵の具を揮発油で薄く溶いて流すように置き、下地を透かせたまま止める。人物は輪郭線で拾い、面は塗りつぶさない。石版画のポスターで鍛えた省略がそのまま出ていて、コントラストの強い人工照明を少ない色数でまとめている。

描かれた背景

1892年から95年ごろ、常連だったムーラン・ルージュの客席を描いたもの。奥を歩く小柄な人物はロートレック自身で、隣は背の高い従兄とされる。一時期右端と下部が切り落とされていたため、今も継ぎ目が残る。右端の女の顔が売りにくかったからとも言われるが、理由は分かっていない。

解説動画: 赤い風車の店と、そこに居場所を見つけた伯爵/山田五郎 オトナの教養講座

ムーラン・ルージュがどんな場所だったか: パリは盆地で、その中の高台にあたるモンマルトルは昔から風がよく吹き、風車小屋が多かったと説明する。町が広がるとその跡がダンスホールに転用された。ムーランは風車、ルージュは赤で、店の名は赤い風車の意味。エッフェル塔が建ったパリ万博と同じ1889年に開いた高級店で、楽団が入り、踊りを見ながら酒も食事もできた。今もパリにあり、観光名所になっていると付け加える。

店の看板だった二人のダンサー: 看板のダンサーはラ・グーリュ。「大食い」という意味のあだ名で、足を高く上げるフレンチカンカンで人気を集めたと紹介する。相棒は「骨なしヴァランタン」と呼ばれた男性ダンサーで、体が柔らかいのが売り。得意のポーズは写真にも残っており、その癖をそのまま捉えていると評する。ロートレックは相手が嫌がるほど特徴を誇張して描く人だったとも繰り返している。

画面の作り方は浮世絵から来ていると見る: 光の見せ方、手前を思い切って影のシルエットにするところ、画面の切り方、平らな色面で塗るところを挙げ、どれも浮世絵から学んだものだと説明する。当時のパリは浮世絵の大ブームで、林忠正の店などで誰もが実物を見ていたという。輪郭線と平坦な色面で人を捉える描き方から、ロートレックをパリの浮世絵師と呼んでいる。

なぜ伯爵家の長男がこの店にいたのか: ブルボン家より古いフランス最古級の伯爵家の長男で、南フランスの城で生まれたと述べる。骨が育たない病気があり、足を二度折って成長が止まった。大人になっても背は150cmに届くかどうかで、代々軍人の家を継げなかった。外見で差別されないモンマルトルの盛り場が居場所になったと見ており、「僕は自分のデッサンで自由を買い取った」という本人の言葉を引く。