ロマン主義
近代(19世紀)
1800〜1850年ごろ/ヨーロッパ各国
どんな様式か
規則よりも、描く人が受けた衝撃のほうを取った絵。難破、革命、処刑、荒れた自然といった主題が選ばれ、画面は落ち着かない。線より色と筆の勢いで押してくるので、同じ時代の新古典主義と並べると別の言語のように見える。
見分け方
まず斜めの動きを探す。人物や船が対角線構図で画面を貫き、水平線が傾く。筆あとがそのまま残って絵の具の厚みが見える(インパスト)。空は劇的で明暗の差が大きい。人が小さく自然が圧倒的に大きい構図も多い(雲海の上の旅人)。
いつ、どこで
19世紀前半、新古典主義への反発として各国で同時に起きた。フランスではジェリコーが実際の海難事故を縦約5m×横約7mの画面に描いた《メデューズ号の筏》を1819年のサロンへ出して論争になる。ドイツでは風景と信仰、イギリスでは光と天候が主題になった。
代表的な画家
テオドール・ジェリコーとドラクロワ(民衆を導く自由の女神)がフランスの中心。スペインのゴヤ(1808年5月3日)、イギリスのターナー(戦艦テメレール号)、ドイツのフリードリヒが各地で並び立つ。ドラクロワは1825年にイギリスへ渡り、現地の絵から色と筆づかいを持ち帰っている。国も主題も違うが、感情が画面の中心にある点は共通する。
解説動画: 反古典主義としてのロマン主義と、国ごとの広がり方/山田五郎 オトナの教養講座
どんな様式として説明しているか: ロマンという語は、ラテン語ではなくロマンス語で書かれた物語に由来すると説明している。ラテン語が政治や宗教や古典を書く文語だったのに対し、ロマンス語は日常の口語で、恋愛や冒険の話はそちらで書かれた。つまりロマン主義とはラテン語=古典の反対勢力であり、反古典主義の運動だと言い切っている。
新古典主義との違い: 古典主義と対にして説明している。古典主義は聖書やギリシャ・ローマの歴史画を理想化し、理性に訴え、静かで安定した構図をとり、輪郭で形を取る。ロマン主義は同時代の事件や自分たちの文学を主題にし、感情に訴える動きのある画面を筆跡の残るタッチと色の面で作る。《民衆を導く自由の女神》は三角形でも重心が偏り、その崩れが動感になっているという。
各国で先に流行した理由: フランスより先にイギリス・ドイツ・スペインで流行したのは、ナポレオン戦争で国や民族の意識が高まったからだとしている。ゴヤの《1808年5月3日》は虐殺の告発として描かれたといい、ナポレオンが失脚する1814年まで発表できなかった。フリードリヒの《雲海の上の旅人》はドイツの民族的なコートを着た人物が祖国の山を見下ろす絵。イギリスではシェイクスピアや北欧神話が題材になった。
フランスでの始まりと好んだ主題: フランスで扉を開いたのはジェリコーの《メデューズ号の筏》だとしている。実際の海難事件を描き、海軍批判と受け取られてルーヴルは買っても展示せず、本人が買い戻してイギリスで見せた。ジェリコーは32歳で早世し、同じ工房の弟弟子ドラクロワが受け継ぐ。ターナーの難破の絵も含め、ロマン主義はドラマチックな主題としての難破船を好んで描いたという。