新印象派
近代(19世紀)
1884〜1900年ごろ/フランス
どんな様式か
印象派の直感的な色使いを、色彩の理論に置き換えようとした絵。純色の細かい点を並べ、混ざるのはパレットの上ではなく見る人の目の中、という理屈に沿って描かれた。にじんだ輪郭がふたたび締まり、動きの止まった静かな画面が戻ってくる。
見分け方
近づくと画面が大きさのそろった点で埋まっている(点描)。隣り合う点は補色か近い色相で、濁った灰色が使われない。人物は真横か真正面を向いて彫像のように止まる。輪郭がぼやける印象派と違い、形の縁がはっきり残るのが見分け方。
いつ、どこで
1884年、サロンに落ちた画家たちが作ったアンデパンダン展でスーラとシニャックが出会ったところから始まる。1886年の第八回、最後の印象派展に《グランド・ジャット島の日曜日の午後》が出て決定的になり、同じ年に批評家フェネオンが新印象派と名づけた。
代表的な画家
ジョルジュ・スーラ、ポール・シニャック(サン=トロペの港)、アンリ=エドモン・クロス、一時期加わったピサロ。スーラが31歳で急死した後は、シニャックが点を大きな四角い筆あとに変え、南仏の港で明るい色に振って引き継いだ。
解説動画: 感覚の印象派から計算の点描へ、スーラとシニャック/ゆっくり美術チャンネル
印象派とどこで分けているか: 感覚で筆を操った印象派に対し、科学的に色と光を追求したのが新印象主義だという分け方をしている。印象派も絵の具を混ぜず原色を並べる筆触分割を使ったが、それは混ぜるほど暗くなることへの感覚的な答えで、効果は半ば偶然だったと言う。新印象主義はその感覚や偶然性を否定し、意図して効果を起こすために筆跡ではなく点を並べた。
点で混ぜるという理屈: 細かく並べた二色は目で区別できなくなり、中間の一色として認識される。だから近くで見るか遠くで見るかで感じ方がまるで変わる。点にするほどこの混色が起きやすく、印象派よりさらに明るい画面になるので分割主義・点描主義とも呼ばれると説明する。今のモニターがやっていることを絵画でやろうとしたようなもの、というたとえも出てくる。
戸外制作を捨てた: 皮肉なこととして、この技法を確立するために印象主義の根幹だった戸外制作を捨てたと指摘している。現場では習作を描くだけで、画面構成から色彩まで時間をかけて考えたうえでアトリエで仕上げる。その結果、印象派ではぼやけていたモチーフの形がはっきりし、時が止まったような永遠性が画面に出たと言う。
スーラとシニャック: 美術学校を辞めて一人で描き始めた研究者気質のスーラが、約2年かけた《グランド・ジャット島の日曜日の午後》を1886年の最後の印象派展に出す。筆跡が消えて現実味がないと批判される中、ほぼ唯一その新しさを認めた批評家フェネオンが、ネオ・アンプレッショニストと紹介した。スーラの病死後は、外向的なシニャックが理論を世に広めたと説明している。