印象派

近代(19世紀)

1860〜1890年ごろ/フランス

どんな様式か

物の形そのものより、その瞬間に目に届いた光と色を描こうとした絵。同じ建物でも朝と夕方では別の色になる、という当たり前を画面に持ち込んだ。輪郭は溶け、近くで見ると絵の具の斑点、離れると景色に戻る。

見分け方

筆あとが短く、置いたまま混ぜていない。影を黒で作らず青や紫で塗り、補色を隣り合わせに置く。輪郭線がなく、描かれるのは屋外の光と水面、都市の余暇。同じ対象を時間別に描いた連作(ルーアン大聖堂)を見ると、形より光が主題だと分かりやすい。

いつ、どこで

サロンに落ちた画家たちが、1874年にパリのカピュシーヌ大通りで自前の展覧会を開いたのが始まり。会場は写真家ナダールが使っていたアトリエだった。批評家ルイ・ルロワがモネの《印象・日の出》をもじって書いた記事の言葉が、そのまま呼び名として定着している。展覧会は1886年まで計八回。

代表的な画家

クロード・モネ(睡蓮)、ルノワール(ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会)、屋内と人工光を選んだドガ(エトワール)、ベルト・モリゾ、カミーユ・ピサロ。全員が同じ描き方をしていたわけではなく、展覧会に参加した集まりの名前に近い。マネは仲間に影響を与えながら、この展覧会には一度も出していない。

解説動画: 写真に追われた画家が明るさを作り直すまで/お座敷らでん【儒烏風亭らでん切り抜き】

印象派が出てきた事情: 1839年の写真の発明で、肖像画を描いていた画家たちが経済的に大打撃を受け、絵画のオリジナル性まで疑われるようになったと切り出している。写真がある世界で絵に何ができるかを考えたのが印象派で、目の前のものを正確に再現してきた美術が再現から表現へ変わった時代だと説明する。呼び名自体、第一回展のモネ《印象・日の出》をとらえて悪い意味で付けられたものだと言う。

明るさをどう作ったか: それまでの絵が暗く見えた理由を絵の具の性質で説明している。塗り重ねるほど色は暗くなるが、緑やオレンジのように重ねないと出せない色もある。そこで黄と赤の点を敷き詰めた図を見せ、離れて見るとオレンジに見えること、しかも混ぜて作ったオレンジより明るいことを実演する。原色を並べて置く筆触分割で明るさを作ったと言う。

三原色の話: 同じころ、光の三原色と色の三原色が別物だと分かってきた話も出てくる。重ねると白になる光の三原色のほうが明らかに明るく、その鮮やかさを絵の具でどうにかしたいという発想があったと説明し、印象派の画家はとても理論的だという見方を示す。モネには七色しか使わない虹色のパレットが用意されていたとも紹介している。

近づいて、離れて見る: 見方として、周りに人がいないのを確かめてから絵にうんと近づき、そこからだんだん離れていくことを勧めている。近づいたときはただの絵の具の塊にしか見えなかったものが、離れると奥行きが出て一枚の絵になるので、近づいて離れるだけで印象派のすごさが分かると言う。