ポスト印象派
近代(19世紀)
1880〜1905年ごろ/フランス
どんな様式か
印象派の明るい色はそのまま受け取りつつ、目に映ったままで終わらせなかった絵。光の記録よりも、画面の骨組みや描き手の気分を前に出す。ひとつの団体ではないのがややこしいところで、印象派のあと別々の方向へ進んだ画家たちを、後からまとめてこう呼んだ。
見分け方
輪郭が戻ってくるのが目印。印象派がほどいた形の縁が、はっきりした線や色の面で締め直される。筆あとは短い並びや渦のうねりとして残り、塗り方そのものが模様に見える。色は見えた色から離れて置かれ、影が青や緑になることも多い。彩度は高いまま遠近法だけが弱まって、画面が平らに近づく。
いつ、どこで
1880年代から1900年代初めのフランス。印象派展が終わりに近づくころ、参加していた画家たちが形の弱さに向き合い始めたのが起点と説明されることが多い。呼び名は後付けで、1910年にロンドンのグラフトン・ギャラリーで批評家ロジャー・フライが開いた「マネとポスト印象派」展から広まった。
代表的な画家
セザンヌはサント・ヴィクトワール山で山を色の面に組み直し、ゴッホは星月夜で筆あとそのものを主役にした。ゴーギャンはわれわれはどこから来たのかで輪郭に囲まれた平らな色面へ進み、ロートレックはムーラン・ルージュにてで人物を影絵のように置く。進んだ先はばらばらだが、印象派の次をどうするかという同じ問いへの別解と見ると分かりやすい。
解説動画: セザンヌが印象派を離れて形へ向かった理由/美術系YouTuberいとはる
セザンヌを印象派とどう分けているか: ゴーギャンやゴッホと並ぶ後期印象派の代表として紹介している。パリで印象派の画家と交わって技法を身につけたが、モネやピサロの淡く儚い空気感とは違い、一つ一つの筆使いがくっきりして力強い。光の表現を追うばかりでは対象の存在感がなおざりになるのではないかという不満があり、意識は形と存在感の側にあったからだと説明している。
単純な形に置き換える: もっと単純に自然を描けないかと考え、木の幹は円柱、リンゴやオレンジは球というように、円柱・球・円錐といった形で自然をとらえようとしたと言う。何度も描いたサント・ヴィクトワール山を見ると、見たままを写した印象派と違って単純な形と平面的な色で組み立てられているのが分かる、という見方を示している。
一枚の絵に複数の視点: モネについて、非凡な目を持っているがそれは一つの目に過ぎない、と語ったと紹介し、横から見た視点と上から見た視点を一枚に共存させようとしたと説明する。《リンゴとオレンジのある静物》では皿が斜め上から、別の器が真横から描かれ、空間が歪んで見える。こうした静物画を60点以上残した。
近代絵画の父と呼ばれる理由: 水浴の絵では人物の表情を消して輪郭線を強め、人体さえ画面を組み立てる素材として扱っていると言う。その根には人間の知覚への関心があり、絵を描くには目だけでなく頭脳も要る、二つが助け合って物を認識できると語ったという。身体を単純な形に置き換える発想と多角的な視点が、後のピカソやブラックに影響してキュビスムのきっかけになったと説明している。