神社を見る

鳥居から本殿まで、境内の順路と見どころ。

神社は外から内へ、境を一つずつ越えて進みます。鳥居は神社の内と外を分ける境に立ち、内側は神域として尊ばれると神社本庁は説明します。大きな社では一の鳥居・二の鳥居と続き、本殿へ近づくほど囲いが細かくなります。本殿の周りには玉垣を巡らし、外側が俗界、内側が神域だとnippon.comの解説は書きます。最初に見るのは建物ではなく、この境の重なりです。どこまで入れるかは、境の形に表れます。

鳥居は、部材が直線か曲線かで二系統に分けると見分けやすくなります。コロンビア大学版JAANUSは、直線的な部材をもつ神明系に神明鳥居・春日鳥居・鹿島鳥居を、曲線的な部材をもつ明神系に明神鳥居・山王鳥居・両部鳥居を並べます。笠木が反るかどうかを先に見て、次に島木と貫、台輪鳥居の台輪を確かめます。同じ辞典は、木造では山梨県の窪八幡神社の両部鳥居が1535年で現存最古、石鳥居では山形県の八幡神社の例が12世紀中頃で最古だと挙げます。起源は定まっておらず、インドの仏塔の門や中国の牌楼との関係を唱える説があるとも書きます。鳥居の確かな記録は922年の文書にあり、平安時代の中頃には一般的になっていたとします。

参道では、中央を正中と呼び神の通る道と捉えることがあると神社本庁は書きます。中央を避けて歩く作法をとる人もいると、同じ頁は続けます。道の両脇の狛犬は、邪気を祓い神前を守る意味をもつ獅子形の像で、中国から朝鮮半島を経て伝わったといわれるとも説明します。手水舎は参拝前に手と口を清める場所で、心身を清める禊を簡略化したものとされます。社殿を囲む森は鎮守の杜と呼ばれ、神域として守り伝えられてきました。

正面に立つ大きな建物は、多くの場合拝殿です。神社本庁は、拝殿が本殿より規模の大きな建築が多く、参拝者に最も目につく建物になると書きます。拝殿と本殿の間に入るのが幣殿です。愛知県岡崎市の六所神社では、桁行二間・梁間一間・両下造・檜皮葺の幣殿が、三間社流造の本殿と桁行五間・梁間三間の入母屋造の拝殿をつないでいます。中央の間を通路にする割拝殿もあります。京都府久御山町の雙栗神社拝殿は、桁行三間・梁間二間で中央間を馬道とし、左右に板間を設け、割拝殿の形式としては類例が少ないと、文化庁の文化遺産オンラインは解説します。壁を立てない吹放しの拝殿もあります。京都市の建勲神社は、神社自身の境内案内で、拝殿が壁をもたず、大きな軒が整った外観をつくると説明します。

本殿の御扉は通常鍵をかけて閉じられ、開扉は特別な祭祀の重要な行事になると神社本庁は書きます。外から見るのは、屋根の棟の向きと、入口が付く面です。棟と平行な面から入る平入が流造と神明造、棟と直角の妻側から入る妻入が大社造と住吉造です。島根県出雲市の出雲大社本殿は、正方形の平面をもつ切妻造・妻入の大社造で、延享元年(1744年)の建立だと、同じ文化遺産オンラインは記します。建勲神社の案内は、同社の本殿が流造・檜皮葺で、1880年の建立、2008年に国の登録有形文化財に登録されたと書きます。

屋根が一つに見えても、中が一棟とは限りません。京都府宇治市の宇治上神社本殿は、一間社流造の内殿三棟を並べて本殿覆屋をかけた形式です。覆屋の側面と背面の壁や柱は左右の内殿と共有されていて、両者は当初から一体のものと考えられていると、文化庁の解説は書きます。一間社と三間社を数えるときは、外から見える柱ではなく、覆屋の中の棟の数を確かめます。本殿のほかに並ぶ小さな社は摂社・末社と呼ばれ、その神社の祭神や縁のある神を祀ると神社本庁は説明します。屋根の大きさと玉垣の位置を見れば、中心の一棟が分かります。

初めての日に起きやすいのは、拝殿を本殿だと思って帰ること、覆屋の中の棟数を数え違えること、順路の掲示を読まずに逆から入ることです。宗教学の雑誌Religionsに載った研究は、京都の一社で参拝者の行動を観察し、境内の説明板が多くの訪問者の主要な情報源となり、何を見るべきかを示す目印として働くとまとめます。境内の案内板を先に読めば、見る順が決まります。山に続く社では、京都の伏見稲荷大社のように山頂まで往復二、三時間かかる例もあり、途中で引き返す人も多いと、現地を歩いた解説動画は述べます。立入禁止の内側と撮影の可否は、現地の掲示で確かめてから動きます。

この節に出てくる図鑑の項目

出典