以逸待労

勝戦計

計の順: 第四計

以逸待労は、敵の強みを正面から崩さず、持久して相手の勢いを損なわせる計。

計名と解語(原文と書き下し)

以逸待労。「困敵之勢、不以戰、損剛益柔」(敵の勢いを困しめるに、戦いを以てせず、剛を損して柔を益す)。

解語の意味

原文は、敵の勢いを困らせるのに戦いを用いず、「損剛益柔」とする。剛と柔が誰のものかは原文から決められないが、周易・損卦の彖伝に同じ「損剛益柔有時」の句がある。按語は孫子の「先に戦地に処して敵を待つ者は佚し、後に戦地に処して戦いに趨る者は労す」を引き、その旨は地を選んで待つことではなく、簡で繁を御し、動かぬもので動くものに応じる(「以不動應動」)ことだと言う。

名前のもとになった故事

按語は管仲・孫臏・李牧を挙げる。史記では、孫臏が斉軍の竈を10万・5万・3万と減らさせ、龐涓は歩兵を捨て軽装の精鋭で「倍日并行」して追い、夜の馬陵で万弩を受けて自刎した。李牧も史記では、雁門で「急入收保」と約して戦わず、怯と見られて趙王に代えられ、復帰後も数年戦わず、のち車・騎・精兵を習わせて匈奴を大破し十余万騎を殺した。

故事と成立でどこまで確かめられるか

按語は書名を挙げず「兵書云」とするが、この句は『十一家注孫子』虚実篇の冒頭と字が同じである(計名は「逸」、句は「佚」)。管仲の例に近い句は国語・斉語にあり、「作內政而寄軍令焉」に続けて、行政の編制が軍の単位に対応づけられる。史記の馬陵と雁門の段には年の記載も「逸」「労」「佚」の字も無く、これらを以逸待労の例とするのは按語の見立てで、年代はここでは確かめられない。

よくある言い換えとのずれ

休んで力を蓄えてから動くという心構えとして広まることがある。だが按語は、兵書は敵を論じ、これは勢を論じるとして、旨は地を選んで待つことではないと言う。挙げる三例も、備えを整える管仲、待ち伏せる孫臏、久しく戦わず備え続ける李牧で、力を抜いて休む話ではない。「損剛益柔」も剛と柔が誰のものか決まらず、休息を勧める句とは言い切れない。英語の動画(Chinese Wisdom)は、劉備が陸遜に敗れた夷陵の戦いも例に挙げる。