趁火打劫

勝戦計

計の順: 第五計

趁火打劫は、敵が大きな災いに見舞われたとき、その勢いに乗じて利益を取る計。

計名と解語(原文と書き下し)

趁火打劫。「敵之害大、就勢取利、剛決柔也」(敵の害大なれば、勢いに就きて利を取る、剛の柔を決するなり)。

解語の意味

原文は、敵が大きな災いに見舞われているときは、その勢いに乗じて利益を取ればよく、これは剛強な者が弱った者を制する道理そのものだと述べる。結びの「剛決柔也」は、周易・夬卦の彖伝に「夬は決なり」と並んで同じ句が見えるが、解語がそこから借りたかは原文から言えない。按語は、敵の災いが国内にあれば領土を、国外にあれば民を、内外に及べば国そのものを奪うと、災いの所在で段階を分ける。

名前のもとになった故事

按語は、越王が呉の国内で稲が蟹に食われて種も残らない年に攻めようと図り、のちに呉が北の黄池で諸侯と会している隙に国内が空になったところを突いて大勝した、と述べる。頁の注記は『国語』の吳語・越語下を挙げる。越語下では、稲蟹が種も残さない今ならと問う越王に、范蠡が「天の応は至ったが人事はまだ尽くされていない、王は待たれよ」と答える。

故事と成立でどこまで確かめられるか

史記・越王句踐世家は、呉王が精兵を連れて黄池に会した間に越が呉軍を破って太子を殺し、呉が礼物を添えて和を請うと、越は滅ぼせぬと見て平を結んだと書く。国語・吳語は王子友の敗北と越軍が呉の郛に入ったことを、左伝は哀公十三年の六月丙子の越の侵攻を記す。按語は「大獲全勝」と言い、年を挙げない。史書も時期の書き方が違い、いつのことかは確かめられない。

よくある言い換えとのずれ

他人の弱みや不幸につけこむこと全般を指す否定的な言い回しとして広まっている。だが按語が挙げるのは、稲が蟹に食われた凶作と、呉王が会盟で国を空けた留守という、国の災いを隣国が突く例で、個人の弱みや日常の揉め事を扱う話ではない。越語下では、稲蟹の今が好機かと問う越王に范蠡が待つよう答えており、災いがあれば直ちに動けという話でもない。