辰野式
呼び名と様式
時代: 明治以降
赤い煉瓦の壁に、白い石の帯が水平に走ります。ドームや小塔を頂く構えとあわせて広く模倣されたため、外観だけでは辰野金吾本人の設計とは決まりません。
どんな材料・造作か
赤い化粧煉瓦の壁面に、白い花崗岩の帯を水平に何段も回す作りです。窓台や階の境の高さで石を通し、開口のまわりにも白い石を差すため、壁が横縞に見えます。頂部にはドームや八角の小塔、急な勾配の屋根が載り、遠くからでも輪郭が立ちます。壁そのものはイギリス積みで積んだ煉瓦造で、白い部分は張り物ではなく積み込んだ石材です。辰野金吾は工部大学校でジョサイア・コンドルに学び、この構えを官庁や銀行、駅舎に繰り返し用いました。
見分けの決め手
白い帯が壁のどの高さに、何本通っているかを数えます。窓台と窓の上、階の境目に石が通り、出隅を白い石で固める例が多く見られます。東京の東京駅丸ノ内本屋では帯が三階ぶんにわたって回り、京都の旧日本銀行京都支店では角の塔屋と帯が組み合わさります。岩手の「岩手銀行(旧盛岡銀行)旧本店本館」も同じ構えで、指定の名称は現地の通称と違います。外観だけでは設計者は決まりません。門下や各地の技術者が同じ手法を用いた作例が残るためです。
いつ頃のものか
明治30年代から大正期に集中します。京都の旧日本銀行京都支店は1906年(明治39年)、岩手の岩手銀行(旧盛岡銀行)旧本店本館は1911年(明治44年)で辰野金吾と葛西萬司の事務所の設計、東京の東京駅丸ノ内本屋は1914年(大正3年)の竣工です。いずれも国の重要文化財で、盛岡の一件は1994年の指定にあたります。年代は竣工年で読み、模倣の作例まで同じ時期とは考えません。
取り違えやすい相手
同じ赤煉瓦に白い石を用いる、ヴィクトリアン・ゴシックやクイーン・アンが相手です。白い石が帯として水平に通るか、窓や尖った切妻の縁取りに散るかで分かれます。鉄筋コンクリート造に赤煉瓦調のタイルを張った後年の建物も紛れやすく、窓の側面や出隅に煉瓦一枚ぶんの厚みが出ているかを見ます。木造の擬洋風建築は壁が漆喰や下見板なので、近づけば材そのものが違います。