看板建築
呼び名と様式
時代: 明治以降
正面だけを平らな一枚の面で覆った、木造の店舗兼住宅です。関東大震災の後に建った形で、藤森照信と堀勇良が1975年の日本建築学会大会で示した呼び名が広まりました。
どんな材料・造作か
二階建から三階建の店舗兼住宅で、道に面した正面だけを銅板・モルタル・タイルで平らに覆います。覆う面は屋号を掲げる看板の下地であり、隣家からの延焼を防ぐ被覆でもありました。屋根は正面で切り上げるため、軒の出がありません。銅板張りは緑青が吹き、スクラッチタイルやテラコッタで仕上げた例もあり、一棟ごとに割り付けが違います。銅板は小さな板を折り重ねて張り、鱗や亀甲の模様を組みます。
見分けの決め手
正面だけでなく、横か裏へ回ってみます。表は平らな一枚の面なのに、側面へ回ると下見板や瓦屋根が出てくれば看板建築です。正面の頂部は水平に切り上がり、垂木も軒も見えません。三階建では腰折れのマンサード屋根を載せた例が多く、正面からは屋根が隠れます。東京の江戸東京たてもの園へ移された丸二商店と大和屋本店が分かりやすい例です。二階の窓の上へ、洋風の飾りをモルタルで盛った例も見られます。
いつ頃のものか
1923年(大正12年)の関東大震災の後、焼けた店を建て直すときに広まり、昭和のはじめにかけて各地の商店街へ及びました。東京の江戸東京たてもの園に移された丸二商店と大和屋本店も、この時期の建設です。呼び名が付いたのは1975年で、建ってから半世紀のあいだ、一括りに呼ぶ言い方は定まっていませんでした。同じ震災の後には鉄筋コンクリートの建物も増え、両者が並んで建ちます。
取り違えやすい相手
出桁造や塗屋造の町家は正面にも軒が出て、桁や垂木が下から見えます。土蔵造の町家は壁が厚く、観音開きの扉と分厚い軒の蛇腹が付き、埼玉の大沢家住宅のように江戸期からの形です。本当に鉄筋コンクリート造で建った商業建築は、大阪の大阪ガスビルディングのように側面や裏まで同じ材で回ります。覆いが正面だけかどうかが分かれ目です。移築された建物なら側面へ回れるので、造りの違いを確かめやすくなります。