1997年 日本の金融危機

日本の相場

大手金融機関が、実際に消えた年

何が起きたか

1997年11月、三洋証券、北海道拓殖銀行、山一證券が相次いで破綻・廃業しました。大きすぎて潰れないという前提が崩れたことで、金融機関どうしの資金のやり取りが止まりかけます。翌1998年には長期信用銀行2行が破綻し、国有化されました。

どれくらい下がったか

日経平均株価は1997年の年間で約21%下落。金融株はそれをはるかに上回る下げ方をしました。

戻るまでにかかった時間

その後もITバブル崩壊を挟み、日本株は長期の低迷を続けます。この時期に整備された金融再生の枠組みは、後の危機対応の土台になりました。

ここから学べること

企業の規模と、倒産しないことは無関係です。「有名だから安心」という判断が最も危うい場面は、危機の直前にやってきます。預金は預金保険制度で一定額まで守られ、証券会社の預かり資産は分別管理されていますが、自分が持っている資産がどの仕組みで守られているかは、平常時に確認しておく価値があります。

解説動画: 第1セッション 経済・物価情勢(「金融政策の多角的レビュー」に関するワークショップ<第2回>)/BOJchannel【日本銀行動画チャンネル】

デフレが始まった時期: デフレが始まったのはバブル崩壊から少し時間を経た90年代後半から、と明示される。崩壊直後ではなかった、という点がまず重要。

1998年の金融危機の効き方: 需要side の要因として特に大きかったのが1998年の金融危機による総需要の落ち込みだと述べられている。金融機関の破綻が、株価だけでなく経済全体の需要を直接削り取った。

デフレスパイラルの回避: 過剰債務のもとで物価が下落すると、実質的な債務残高が増大してさらに需要が減退する悪循環——デフレスパイラルに陥る懸念が高まっていた。量的緩和政策と、銀行への公的資金注入などのプルーデンス措置によって回避されたと結論づけている。