1997年 日本の金融危機
日本の相場
年: 1997年 / 最大下落: 約21%(年間) / 回復まで: 数年
1997年日本の金融危機は、三洋証券の経営破綻を起点に北海道拓殖銀行・山一證券・徳陽シティ銀行が23日間のうちに次々と破綻した出来事です。銀行・建設・証券株は3〜4割下落し、「大きすぎて潰れない」という前提がわずか23日間で崩れたことを示しました。企業の規模と倒産しないことは無関係です。
何が起きたか
1997年11月3日に三洋証券が経営破綻し、戦後の日本で初めて銀行間のコール市場で元本が返済されないデフォルトが起きました。資金繰りが厳しかった北海道拓殖銀行はこれで資金調達が止まり、11月17日に破綻。11月24日には山一證券が自主廃業を決め、26日には徳陽シティ銀行も破綻します。「大きすぎて潰れない」という前提が、わずか23日間で崩れました。
どれくらい下がったか
日経平均株価は年度を通じて業種で明暗が分かれ、銀行・建設・証券株は3〜4割下落した一方、輸送用機器や電機など製造業は堅調でした。破綻後は社債の利回りが上昇する一方、安全資産とされる国債の利回りは低下し、邦銀が海外市場での調達で上乗せを求められる「ジャパン・プレミアム」も広がりました。日本銀行は潤沢な資金供給で短期金利の急騰を抑えました。
戻るまでにかかった時間
政府の初期対応は個別の救済にとどまりましたが、大手金融機関の連続破綻を受けて包括的な枠組みが必要になったと、イェール大学のマクナマラとメトリックの論文は分析します。1998年、経営が行き詰まった大手行を一時的に国有化する法律と、銀行の資本増強に公的資金を充てる法律が成立しました。北海道拓殖銀行の道内営業は、日銀特融を受けた北洋銀行へ引き継がれました。
ここから学べること
企業の規模と、倒産しないことは無関係です。「有名だから安心」という判断が最も危うい場面は、危機の直前にやってきます。預金は預金保険制度で一定額まで守られ、証券会社の預かり資産は分別管理されていますが、自分が持っている資産がどの仕組みで守られているかは、平常時に確認しておく価値があります。
出典
- 論文 白鳥圭志(東北学院大学経済学部)(2020) 「インキュベーター路線」から経営破綻へ―バブル崩壊前後、北海道拓殖銀行の軌跡―(東北学院大学経済学部ディスカッションペーパーシリーズ #2020-1)
- 公的機関 日本銀行 調査統計局・企画室(1998) 1997年度の金融および経済の動向
- 論文・英語 Christian M. McNamara, Andrew Metrick(Journal of Financial Crises)(2020) Restructuring and Forgiveness in Financial Crises D: The Japanese Financial Crisis of the 1990s
- 動画 禁断のマネー雑学 【日本経済の分岐点】1997年に起きた“国家レベルの連鎖崩壊”とは
解説動画: 第1セッション 経済・物価情勢(「金融政策の多角的レビュー」に関するワークショップ<第2回>)/BOJchannel【日本銀行動画チャンネル】
デフレが始まった時期: デフレが始まったのはバブル崩壊から少し時間を経た90年代後半から、と明示される。崩壊直後ではなかった、という点がまず重要。
1998年の金融危機の効き方: 需要side の要因として特に大きかったのが1998年の金融危機による総需要の落ち込みだと述べられている。金融機関の破綻が、株価だけでなく経済全体の需要を直接削り取った。
デフレスパイラルの回避: 過剰債務のもとで物価が下落すると、実質的な債務残高が増大してさらに需要が減退する悪循環——デフレスパイラルに陥る懸念が高まっていた。量的緩和政策と、銀行への公的資金注入などのプルーデンス措置によって回避されたと結論づけている。