暗渡陳倉

敵戦計

計の順: 第八計

暗渡陳倉は、表の動きで敵の目を引きつけ、裏で別の道から主導権を握る計。

計名と解語(原文と書き下し)

暗渡陳倉。「示之以動、利其靜而有主、益動而巽」(之に示すに動を以てし、其の静にして主あるに利す。益々動きて巽う)。

解語の意味

原文の解語は、動きを示すこと、「静にして主あるに利す」、「益々動きて巽う」の三句を並べるが、誰が静か、誰に主があるかは解語自身が示さない。末句の「益動而巽」は周易・益卦の彖伝と同じ四字だが、借りたかは原文から言えない。按語は冒頭で「奇は正より出づ、正無くば奇を出せず」と述べ、続く一文で「棧道を明らかに修めなければ陳倉は暗に渡れない」と表と裏を対にする。

名前のもとになった故事

史記・高祖本紀は、劉邦が諸侯の襲撃に備え項羽に東へ出る意が無いと示すため桟道を焼き切り、のち韓信の計を用いて故道から還り雍王章邯を襲い、章邯が陳倉で迎え撃って敗れたと書く。陳倉は道の名でもあり、会議論文(Jia, 2018)の抄録は陳倉道を、中原と中国南西部を結ぶ三つの主要な通路の一つに挙げる。按語が挙げるのは別の話で、三国の鄧艾が、姜維が廖化に白水の南で自軍を釘付けにさせ洮城を東から襲うと見抜き、先回りした話である。

故事と成立でどこまで確かめられるか

開いた史記の高祖本紀・淮陰侯列伝に「明修棧道、暗渡陳倉」の八字は見当たらない。淮陰侯列伝は「兵を挙げ東のかた陳倉に出で、三秦を定む」と書き、桟道を焼く進言は留侯世家が張良のものとする。鄧艾と姜維の話は三国志・鄧艾伝にほぼ同じ筋があり(洮城は水の北、艾の陣から六十里)、その一節に暗渡・陳倉・声東の語は無く、按語が評を足した。

よくある言い換えとのずれ

「桟道を修理して見せ、別の道から陳倉を突いた」という筋で語られる。地図解説の動画(地图里的故事)は韓信が将に修理させたと語り、動画(八重あさひ)は第六計を「相手を動かす計」、この計を「相手を釘付けにする計」と分ける。だが史記の高祖本紀・淮陰侯列伝に修理の話は見えず、按語は姜維の策を暗渡陳倉とも声東撃西の謀とも呼ぶので、二計の線引きは按語だけでは定まらない。

解説動画: 【三次元地図】韓信:明修桟道暗度陳倉はなぜですか?劉邦はすべてドラムの中で覆われています。【地図の物語】/地图里的故事

動画が語る筋: 韓信が部下に桟道を修理させて章邯の目を引きつけ、曹参の別動隊が陳倉の狭い道から進んだという筋で語る。桟道を修理させた場面は、史記の高祖本紀・淮陰侯列伝には見当たらない。字幕は自動生成で人名の誤り(章邯が「章邯鄲」など)が目立つ。

解説動画: 「銀河英雄伝説」にみる兵法三十六計、第八計「暗渡陳倉」(VOICEVOX解説)/八重あさひ

第六計との線引き: 話者自身の見解として、第六計(声東撃西)を「相手を動かす計」、この計を「相手を釘付けにする計」と分ける。