背水の陣
故事とことわざ
背水の陣は、絶体絶命の戦術の代名詞として使う言葉を出どころに戻す項目。
よく言われること
「背水の陣」は、あとがない状況に自らを追い込むことで力を発揮させる戦術一般の代名詞として広く使われる。
原典では何と書いてあるか
『史記』淮陰侯列伝によれば、井陘の戦いで韓信は一万の兵をわざと川を背にして布陣させた(背水陳)。趙軍がこれを見て笑ったが、韓信軍は退路の無い中で奮戦し勝利した。戦後、納得のいかない諸将に韓信は「兵法不曰、陷之死地而後生、置之亡地而後存」(兵法に、之を死地に陥れて然る後に生き、之を亡地に置きて然る後に存すと曰わずや)と述べ、自らの布陣を『孫子』九地篇の言葉になぞらえて説明したと記す。
どこがずれているか
「背水の陣」という語自体は『孫子』の本文にはなく、韓信が実際に行った特定の一戦を伝える『史記』の記述に由来する。韓信自身は自分の行動を『孫子』九地篇の「死地」の考えに引きつけて説明しているが、九地篇は九種の土地ごとの対応を説く篇であって、川を背にした布陣という具体的な形そのものを指示した箇所ではない。
なぜそう広まったか
川を背にするという具体的で分かりやすい情景と、韓信自身が兵法の言葉を引いて説明したという逸話が結びつき、「背水の陣」という四字が、絶体絶命の状況を作る戦術一般を指す言葉として一人歩きした。
原典に沿って言うなら
『史記』が伝えるのは、井陘の戦いで韓信が退路を断つ布陣をとったという特定の一例であり、韓信自身がそれを九地篇の「死地」の考えを借りて事後的に説明した場面である。「背水の陣」は孫子が定めた型の名ではない。