堀切
門と虎口と堀
時代: 室町
尾根を横切って断ち切る堀です。山の背がそのまま道になる山城で、背後から続く一本道をそこで途切れさせるために掘られました。
何のためのものか
尾根の背を横に断ち切って掘り下げた堀です。山城では尾根そのものが通り道になるため、背後から続く一本道を、そこで途切れさせることが役目になります。掘り上げた土は片側へ盛って土塁とし、堀と土塁が対になって尾根をふさぐ形が基本です。新潟県上越市の春日山城跡、石川県七尾市の七尾城跡、滋賀県長浜市の小谷城跡には、曲輪と曲輪の境や城の背後にあたる尾根へ入れた堀が残り、水を張らない空堀として掘られています。
見分けの決め手
堀の両端が、尾根の左右でどこまで落ちているかを追います。堀切は尾根とほぼ直角の向きに入るため、両端が斜面へ下って、そのまま竪堀に続く例が見られます。断面はV字に近い薬研の形と、底に平らな面をとる箱の形に分かれます。今の見た目より当初は深いのが普通で、埋まった分は発掘の断面図で確かめます。落ち葉や倒木がたまる季節は底が浅く見えるため、深さを目で決めずに縄張図と照らします。
いつ頃のものか
山城の普請とともに広がり、15世紀から16世紀の城跡に濃く残ります。堀を二本並べて重ねた二重堀切のように、遮断を強めるために本数を増やした縄張も各地の調査で図化されてきました。年代の根拠になるのは文化庁 国指定文化財等データベースの指定説明と、奈良文化財研究所 全国遺跡報告総覧に載る発掘報告です。堀の形や深さだけで築いた年は決まりません。同じ城でも時期の違う普請が重なるので、曲輪の並び方と合わせて読みます。
取り違えやすい相手
自然の鞍部と、後世の林道の切り通しが相手です。堀の肩にあたる線が、左右で途切れずに続くかを見ます。鞍部は尾根が自然にたわんだ地形なので肩の線が定まらず、底も広く緩やかに下っていきます。切り通しは幅がほぼ一定で、車の通れる勾配が保たれ、堀の底へ道が入り込みます。静岡県掛川市の高天神城跡のように見学路が堀を横切る城では、後から削った部分と当初の掘り込みが隣り合います。
どこに立つと見えるか
堀の底ではなく、片側の曲輪の縁に立ち、尾根の向きに沿って見ます。底からは左右の斜面しか見えず、尾根のどこを切ったのかが読めません。鹿児島県志布志市の志布志城跡は台地を刻む堀が深く残る城で、上の縁から堀の走る向きと、両端が斜面を下っていく先まで追えます。堀の斜面は滑りやすく、掲示された見学路の外へは出ません。落葉期は下草が減り、堀の肩の線が読み取りやすくなります。