フォーヴィスム
20世紀の動き
1905〜1910年ごろ/フランス
どんな様式か
色を物の色から切り離した絵。木の幹が赤く、顔に緑の帯が走る。見えたとおりに塗ることをやめ、色そのものの強さだけで画面を組み立てようとした。絵の具はチューブから出したのに近い鮮やかさのまま置かれ、混ぜて濁らせない。名前のとおり荒々しい。
見分け方
塗り残しの白地が見えるかが分かりやすい目印。輪郭は太い一本線か、色面の境目そのものになる。影が黒や茶ではなく青や紫で置かれ、彩度の高い色が隣り合うので補色の組み合わせが画面のあちこちで鳴る。奥行きは弱く、遠くの物も近くの物も同じ強さで塗られる。
いつ、どこで
1905年秋のパリ、サロン・ドートンヌの一室に激しい色の絵がまとめて並んだ。同じ部屋に置かれたルネサンス風の彫刻を指して、批評家ルイ・ヴォークセルが「野獣(フォーヴ)に囲まれたドナテッロだ」と書いたのが名前の由来。まとまった動きとしては三度の展覧会を経て数年で散った。
代表的な画家
マティス、ドラン、ヴラマンク、マルケ、デュフィら。いずれも20世紀の作家で、この図鑑では作品画像を扱わない。色の下敷きはポスト印象派にあり、ゴーギャンの説教のあとの幻影の平らな赤や、マティスが1904年の夏を共に過ごしたシニャックのサン=トロペの港の純色から受け継いでいる。
解説動画: マティスが点描を通って野獣と呼ばれるまで/山田五郎 オトナの教養講座
フォーヴィスムに行き着くまで: マティスは二十歳過ぎで絵を始めた遅咲きで、アカデミズムの教室では全然だめだと叩かれて一度やめていると言う。ブルターニュで知り合った画家からゴッホやゴーギャンの話を吹き込まれ、ポスト印象主義、とりわけセザンヌへ傾いていく。学生で金がないのに妻の指輪を質に入れてセザンヌの浴女の絵を買い、37年手元に掛けたままだったという逸話も紹介している。
点描を通ってベタ塗りへ: 1904年に南仏サン=トロペのシニャックを訪ね、その指導のもとで点描の《豪奢、静寂、逸楽》が生まれたと説明する。題はボードレールの詩の一節から取られている。翌年からスペイン国境近くの港町で夏を過ごすうち、こんなに点を打たなくても表現できると考えて点が大きくなり、ベタ塗りが増えた。いったん点描を経てあの色面へ来たという道筋を示している。
野獣という名が付いた場面: 1905年、自分たちで立ち上げたサロン・ドートンヌに、妻の顔へ緑の筋が走る肖像などを出す。マルケら仲間の絵と同じ部屋に並び、その部屋を評論家ルイ・ヴォークセルが新聞で野獣の檻のようだと書いたことから名前が生まれた。批判の言葉がそのまま呼び名になった点は印象派と似ていると指摘し、当人たちも後にはこう呼ばれるのを嫌がったと言う。
一年で次へ行ってしまう: 話題にはなったが売れたかどうかは別だと断りつつ、名が付いた翌1906年にはもうこれじゃないと《生きる喜び》を描いたと言う。下敷きにはセザンヌの浴女の三角形の構図とベタ塗りがあり、点描を継ぐと思っていたシニャックは裏切り者だと激怒した。代わりにアメリカの富豪レオ・スタインが買い手につく。この絵はフォーヴィスムにとってのアヴィニョンの娘たちとも言われ、順序はこちらが先だと紹介している。