キュビスム

20世紀の動き

1907〜1920年ごろ/フランス

どんな様式か

ひとつの視点から見た形をやめ、正面と横顔、机の上と真上からの眺めをひとつの画面に同居させた絵。物を面に分解し、画面の上で組み直す。似せることよりも、立体を平面に置き換える手つきそのものを見せる絵になった。

見分け方

まず色が減る。初期は茶と灰と黄土の狭い範囲でまとめられ、色ではなく面の向きで奥行きを示す。手前と奥が同じ面に混ざるため遠近法の消失点が効かない。のちに新聞紙や壁紙が貼り込まれ、絵の具でない材質が画面に入る。文字や楽器の一部など、見分けの手がかりだけが写実的に残る。

いつ、どこで

1907年、パリでピカソが《アヴィニョンの娘たち》を描いたあたりが起点とされる。同じ年のサロン・ドートンヌではポスト印象派のセザンヌの回顧展が開かれ、自然を面へ還元する見方が引き継がれた。名前は1908年、ブラックの風景画を「立方体(キューブ)に還元する」と評した批評から出て、広まるのは1911年ごろ。

代表的な画家

ピカソとブラックが二人三脚で進め、フアン・グリス、フェルナン・レジェ、ロベール・ドローネーが続いた。いずれも20世紀の作家で、この図鑑では作品画像を扱わない。土台になった見方はサント・ヴィクトワール山で確かめられる。陰影に頼らずに形を出す点では、アフリカやイベリアの彫刻も参照された。

解説動画: キュビスムが絵の描き方を変えたと言われる理由/「アートと出会う」現代アート専門番組【MEET YOUR ART】

どんな運動として説明しているか: 講師は、キュビスムの最大の功績を絵の描き方そのものを変えたことだと説明している。遠近法を身につける、陰影で立体感を出すといった美術学校のルールを使わなくても絵は描ける、と描き方の前提をひっくり返した。その先に抽象絵画や抽象彫刻が生まれ、絵画と彫刻というジャンル分け自体もゆるんでいったと位置づける。素材も何を使っていいことになり、現代アートはここから始まったと見ている。

キュビスムという名前の出どころ: 名前の由来に挙げるのは、ブラックが南フランスのレスタックで描いた風景画。丘の家がホームベース型や四角形といった単純な形だけで描かれ、これを見た新聞の批評家が描くもの全てをキューブに単純化していると書いた。同じころピカソも似た絵を描いており、二人をまとめてキュビスムと呼ぶようになる。1905年にフォーヴィスム、その二年ほど後にキュビスムが始まり、名前が生まれたのは1908年ごろと整理している。

土台になったセザンヌ: ブラックがレスタックへ行ったのは、そこがセザンヌの描いた町だったから。自分なりにセザンヌを描いてみることで、その絵に何が潜んでいるかを探ろうとしたと説明する。講師はセザンヌを見るならなんだこれと思って見るのがいちばん重要だと言い、果物かごは真横から、テーブルは左が上から右が横からというように、いろんな方向から見たものが一枚に混ざる点を挙げる。ここに絵画の未来があるとピカソとブラックは受け取ったのだと語る。

そのあと何が広がったか: コラージュを最初にやったのはピカソとブラックだと述べ、拾ってきた新聞の切れ端やゴミまで画面に貼り、素材は何を使ってもいいという状態をつくったと説明する。ピカソ自身は抽象へは進まずUターンし、縦横のグリッドで画面を組む方向を引き受けたのはモンドリアンだった。後続のドローネーやグレーズは色彩を使い、キュビスムをフランス古典主義の現代版と考えたとも紹介している。