1985年 プラザ合意

通貨と債券

為替が1年で4割動いた、政策の力

何が起きたか

1985年9月、主要5か国がドル高の是正で合意しました。発表直後から急速な円高ドル安が進み、1ドル約240円から、1年余りで150円台まで動きます。輸出産業への打撃を和らげるための金融緩和が、後の資産価格の高騰につながったとする見方もあります。

どれくらい下がったか

為替の変動そのものが、輸出企業の収益と株価に直接影響しました。1986年から1989年にかけて、日本の株式と不動産は歴史的な上昇に向かいます。

戻るまでにかかった時間

この円高は定着し、その後の日本経済の構造を変えました。

ここから学べること

為替は市場だけで決まるものではありません。政策当局の合意や介入で、短期間に大きく動くことがあります。そして1990年 日本のバブル崩壊が示すように、危機に対応するための政策が、次の危機の種になることがあります。今の政策環境も、いつか同じように振り返られます。

解説動画: ざっくり解説 プラザ合意|たった1日の会議が日本経済を変えた歴史的決定/歴史ラボ ゆるっと学ぶ歴史のハナシ

たった1日の会議: 1985年9月22日、ニューヨークのプラザホテルで先進5か国の財務大臣と中央銀行総裁が集まって決めた合意。日本にバブル経済を引き起こし、その崩壊後には「失われた30年」と呼ばれる長期停滞をもたらすことになる。

2年で円の価値が倍に: 合意前の1985年9月に約236円だったレートが、1987年末には120円台まで進んだ。協調介入や米金利の変化も重なり、2年ほどで円の価値が対ドルでおよそ2倍になった計算になる。

輸出企業に何が起きたか: 1台100万円で作った車は、1ドル240円なら約4,200ドルで売れたが、120円になると同じ利益を得るには約8,300ドルの値を付けなければならない。値上げすれば売れず、据え置けば利益が消える。自動車メーカーは部品メーカーに、部品メーカーは下請けに値下げを要求し、円高の圧力が製造業全体に波及していった。