1985年 プラザ合意
通貨と債券
年: 1985年
1985年プラザ合意は、日米英仏と西ドイツの5か国がニューヨークのプラザホテルに集まりドル高の是正に合意し、ドルが1985年2月から1986年7月までの間に約41%下落した出来事です。当局が見込んだ幅を相場が大きく超えて動くことを示し、円高を防ぐための低金利が後のバブルを生んだとも振り返られています。
何が起きたか
1985年9月22日、米国の呼びかけで、日米英仏と西ドイツの5か国の財務相と中央銀行総裁がニューヨークのプラザホテルに集まり、ドル高の是正に合意しました。声明は、ドル以外の主要通貨の「秩序ある上昇が望ましい」と述べただけで、介入額も目標水準も書いていません。伊藤隆敏の2015年の論文によると、5か国の代理人が事前に作った非公表の文書は、ドルの10〜12%の下方調整を見込んでいました。
どれくらい下がったか
直前の金曜日に約240円だった円は、1週間で約12%上がりました。東京は9月23日が休場で、最初の上昇は海外の市場で起き、24日に日銀が約13億ドルを売ったと伝えられる東京では、円はほとんど動いていません。年末に200円へ迫り、1986年の夏には160円台。ドルは1985年2月の260円台から1986年7月の153円まで、約41%下がりました。
戻るまでにかかった時間
1986年10月の宮沢・ベーカー合意には、日銀が公定歩合を3.5%から3%へ下げることと、3.6兆円の公共事業を含む補正予算が入っていました。公定歩合は1986年1月から5回下がり、1987年2月に2.5%になって、1989年5月まで動きません。1987年2月のルーブル合意は「現在の水準の近くでの安定」を掲げましたが、1ドルは同年12月に130円を割ります。
ここから学べること
当局が見込んだ幅を、相場は大きく超えて動くことがあります。見る側面によって評価が変わります。ジェフリー・フランケルの2015年の論文は、ドルを下げて貿易赤字を減らした成功例と評価します。伊藤隆敏の論文によると、日銀は円高を防ぐために強いられた低金利がバブルを生んだと振り返っています。1990年 日本のバブル崩壊も読んでください。
出典
- 論文・英語 Takatoshi Ito(Baker Institute for Public Policy, Rice University のワーキングペーパー)(2015) The Plaza Agreement and Japan: Reflection on the 30th year Anniversary
- 論文・英語 Jeffrey Frankel(NBER Working Paper)(2015) The Plaza Accord, 30 Years Later
- 公的機関 日本銀行 基準割引率および基準貸付利率(従来「公定歩合」として掲載されていたもの)の推移
解説動画: ざっくり解説 プラザ合意|たった1日の会議が日本経済を変えた歴史的決定/歴史ラボ ゆるっと学ぶ歴史のハナシ
たった1日の会議: 1985年9月22日、ニューヨークのプラザホテルで先進5か国の財務大臣と中央銀行総裁が集まって決めた合意。日本にバブル経済を引き起こし、その崩壊後には「失われた30年」と呼ばれる長期停滞をもたらすことになる。
2年で円の価値が倍に: 合意前の1985年9月に約236円だったレートが、1987年末には120円台まで進んだ。協調介入や米金利の変化も重なり、2年ほどで円の価値が対ドルでおよそ2倍になった計算になる。
輸出企業に何が起きたか: 1台100万円で作った車は、1ドル240円なら約4,200ドルで売れたが、120円になると同じ利益を得るには約8,300ドルの値を付けなければならない。値上げすれば売れず、据え置けば利益が消える。自動車メーカーは部品メーカーに、部品メーカーは下請けに値下げを要求し、円高の圧力が製造業全体に波及していった。