1971年 ニクソン・ショック
通貨と債券
年: 1971年
1971年ニクソン・ショックは、米国が金とドルの交換停止を発表し、輸入品への10%の追加関税と賃金・物価の90日間の凍結も打ち出して、第二次大戦後の国際通貨体制の前提が崩れ1ドル=360円の固定相場が終わった出来事です。通貨の価値は制度によって決まり、政治の判断で一夜にして変わることを示しました。
何が起きたか
1971年8月15日、米国のニクソン大統領が金とドルの交換停止を発表しました。演説では「一時的な停止」とし、輸入品への10%の追加関税と賃金・物価の90日間の凍結も打ち出しました。第二次大戦後の国際通貨体制(ブレトンウッズ体制)の前提が崩れ、1ドル=360円という固定相場は、ここで終わりました。マイケル・ボルドの2018年の論文は、根本の原因は1965年以降の米国のインフレだったと論じています。
どれくらい下がったか
日本銀行の百年史によると、日本時間の8月16日午前、政府と日銀は「現行平価を堅持する」と表明しましたが、市場はドルの売りに傾き、東京証券取引所の平均株価はそれまでで最大の下げ幅になりました。ヨーロッパが市場を閉じるなか東京は開け続け、11日間で約40億ドルを買い支えています。8月28日に暫定的なフロートへ移ると、円は27日までの357円台から月末の339円まで上がりました。
戻るまでにかかった時間
演説で「一時的」と説明された金との交換停止は、国際通貨制度を事実上、金の裏づけのない不換紙幣の制度に変えたと、連邦準備制度の歴史ページは説明しています。日本は円の切り上げを避けようと買い支えを続け、8月末から1973年2月にフロートへ移るまでの約1年半の介入額は、最初の11日間の3倍近くに達しました。この転換は、元に戻ることはありませんでした。
ここから学べること
通貨の価値は、制度によって決まっています。そしてその制度は、政治の判断で一夜にして変わりえます。海外資産を持つとき、為替は「読むもの」というより読めない前提で配分を決めるものだという理解につながります。外国株式や外国債券を持つなら、この歴史を知っておいてください。
出典
- 公的機関・英語 Sandra Kollen Ghizoni(Federal Reserve History)(2013) Nixon Ends Convertibility of U.S. Dollars to Gold and Announces Wage/Price Controls
- 論文・英語 Michael D. Bordo(NBER Working Paper)(2018) The Imbalances of the Bretton Woods System 1965 to 1973: U.S. Inflation, The Elephant in the Room
- 動画・英語 Richard Nixon Foundation The Challenge of Peace - President Nixon's Address to the Nation on A New Economic Policy
- 公的機関 日本銀行 日本銀行百年史(第6章 変動相場制下の金融政策「ニクソン・ショックと円切上げ」)
解説動画: 【高校生のための政治・経済】国際経済史⑤ニクソンショック・スミソニアン協定・キングストン合意#8/miniいけ先生の倫政チャンネル
金と交換できたドル: 戦後の国際通貨体制ではドルだけが金と交換できると決められ、各国の通貨はそのドルに固定相場でつながれていた。1ドル360円もその一本で、通貨の価値は制度が決めていたという前提から解説が始まる。
ドルの流動性のジレンマ: 冷戦とベトナム戦争で、ドルは金の保有量を超えて発行されていく。交換を約束している以上、供給が増えるほど信用は下がり、金が流出する。動画はこれを流動性のジレンマと呼び、保有量のグラフで示す。
固定相場が終わるまで: 1971年に金とドルの交換が停止され、同年のスミソニアン協定で円は1ドル308円へ切り上げられた。それでも固定相場は保てず1973年に変動へ移り、金(きん)は一つの商品になったと整理される。