マッハ1に壁があるという言い方
数と言葉の誤解
壁ではなく、流れの性質が変わる境目
よく言われること
音速のところに硬い壁のようなものがあって、突き破る瞬間に大きな爆音が鳴る、という言い方です。機体が白い円錐の雲をまとった写真も壁を破った証拠として並べられ、いったん向こう側へ入ってしまえばあとは静かに飛べるのだ、と続きます。速さの目盛りの一点に関所があるような絵になります。
実際はどうか
壁という物はどこにもありません。マッハ0.7〜0.85あたりから翼の上だけ音速を超える場所ができ、そこに衝撃波が立ちます。すると抗力が急に増え、揺れと操縦の重さが出ます。1940年代の機体にはこれが手強く、越えられない壁に見えました。今は薄い翼や後退翼で通り抜けますが、この揺れを計算だけで当てるのは今も難しいままです。
なぜ広まったか
遷音速で機体が壊れる事故が続いた時期に、破れない壁という比喩が報道で使われ、言葉だけがそのまま残ったからです。白い円錐の雲も突破の合図として繰り返し紹介されましたが、あれは圧力と温度が下がった湿った空気が水滴へ変わったもので、音速に届いていなくても現れます。壁の姿は、そこで固まりました。
どう言えば正しいか
「音速の近くでは流れの性質が変わり、抗力が急に増えます」と言えば足ります。壁ではなく境目です。轟音のほうも超えた瞬間だけの音ではありません。飛んでいるあいだ引きずる円錐が自分の頭上を通り過ぎた音、と言い換えると近づきます。円錐の届き方はソニックブームにまとめました。壁を破ったという表現は、当時の空気を伝える歴史の言葉としてだけ残します。
解説動画: 飛行機が時速600マイル以上で飛べない理由/Simple Concepts Explained
壁の正体は波の積み重なり: 機体は前へ圧力の波を押し出しながら進む。遅いうちは波が楽に離れていくが、海面での音速は時速767マイルで、そこへ近づくと機体は自分の押し出した波に追いつく。前方の空気に避ける余裕がなくなって波が積み重なり密な層になる。技術者はこれを圧縮性と呼び、ふだんの穏やかな摩擦とは種類の違う激しい抵抗になる。
機体より先に翼の上が音速へ: この変化が起きる帯がマッハ0.8から1.2の遷音速域。翼の上面に回った空気は機体そのものより速く動いていて、機体が音速の80%で飛んでいても上面だけは100%を超えていることがある。機体全体はまだマッハ1に届かないのに翼の一部が先に音速へ達する状態で、そこから急に減速する所に衝撃波が立ち、圧力が急変して機体が激しく揺れる。
抵抗は速さの2乗で増える: 車の窓から手を出したときの押し返しが例に出てくる。低い速度なら軽い圧力だが、速度が上がると腕を持っていかれそうな強さになる。増え方は速さに比例するのではなく、速度を2倍にすると4倍、3倍にすると9倍。だから速く飛ぶには出力を少し足すのでは足りず、燃料も費用も一気に増える。
越えられるが高くつく: 壁は越えられないものではない。F-22やユーロファイター・タイフーンは条件しだいでマッハ1超で巡航でき、マッハ3以上を出した機体もある。ただし燃料の減りが桁違いで航続が縮み、超音速でいられるのは数分だけということもある。空気との摩擦で表面が加熱され、材料は膨張して応力がかかる。
コンコルドが退いた理由: マッハ2でロンドンやパリからニューヨークへ飛び、大西洋横断の時間をほぼ半分にしたが、30年足らずの運航で2003年に退役。運航費が莫大で乗客は100人未満、切符は多くの人に手が届かなかった。さらにソニックブームは飛行経路に沿って鳴り続けるため、陸上の超音速飛行は厳しく制限された。