サント・ヴィクトワール山

近代の入り口

ポール・セザンヌ/1902〜06年

どんな絵か

南仏エクスの町から見える山を、繰り返し描いた最晩年の一枚。フィラデルフィア美術館の版は64.8×81.3cmのカンヴァスに油彩。手前に家と木、奥に山という単純な作りだが、どこも色の面のつぎはぎでできている。

どこを見るか

輪郭線を探しても見つからない。形は、隣り合う色の面のつなぎ目で決まっている。手前は緑と黄土、山は青——この暖色と寒色の置き方だけで奥行きが出る。山の三角が画面上部を占め、下の家並みの四角と噛み合って三角構図に落ち着く。遠くを淡く霞ませる空気遠近法には頼っていない。

使われている技法

カンヴァスに油彩。短い筆触を同じ向きに並べて一つの面をつくり、向きを変えることで別の面に切り替える。絵具は薄く、塗り残したカンヴァスの地がところどころ見える。厚く盛るインパストとは逆に、置いては止める描き方になっている。

描かれた背景

1902年、エクス北のレ・ローヴにアトリエを建て、そこから見える山を描き続けた。この時期だけで油彩11点、水彩を加えるとさらに多い。1904年の手紙に「自然を円筒・球・円錐によって扱う」と書いており、この一節はのちにキュビスムの側から繰り返し引かれた。同じ山を描き続けた一群のうち、いちばん最後の時期にあたる。

解説動画: 同じ山を八十回以上描き続けたセザンヌの晩年/パレット&ペイン

この山をどう扱っているか: エクス=アン=プロヴァンスの東にそびえる石灰岩の山で、少年期に親友のゾラと駆け回った場所だと紹介している。セザンヌは生涯でこの山を80回以上描き、油彩40点以上、水彩も同じくらい残したという。同じ場所から何十回も向き合いながら、一枚として同じ絵はないと述べている。

描き方がどう変わったか: 初期は山が風景の中の一要素として写実的に置かれていたが、年を追うごとに小さな色面の積み重ねへ変わっていったと説明する。晩年には山も空も木々も等しい色の構築物になり、山と空の境目さえ溶け合うという。自然を円筒・球・円錐によって扱えという言葉を引き、500年続いた遠近法の伝統に一人で異を唱えたと位置づけている。

なぜ描き続けたのか: 生前の評価は厳しく、批評家には子供の落書きと言われ、サロンにも落選を重ね、印象派の仲間内でも浮いていたと語る。それでも人を避けて故郷にこもり描き続けた理由を、光の一瞬ではなく物の重さや奥行きそのものを色彩だけで表すという誰も達成していない目標に置いていた、と説明する。本人の私は探求者であって到達者ではないという言葉を引いている。

最後まで山に通った: 1890年代後半には糖尿病と視力の衰えを抱えながら、毎朝アトリエを出て山の見える場所まで歩き、日が暮れるまで描いたという。1906年10月、いつものように出た先で激しい雨に打たれ、ずぶ濡れのまま制作を続けて帰り道に倒れ、肺炎で亡くなった。アトリエには未完の絵が何枚も残り、その中にこの山の絵もあったと結んでいる。