1720年 南海泡沫事件

古典的バブル

年: 1720年 / 最大下落: 約85% / 回復まで: 戻らず

1720年南海泡沫事件は、英国の南海会社の株価が数か月で100ポンド余りから1,000ポンド超まで上がった末に約85%も下落した出来事で、物理学者ニュートンも売却後に高値で買い戻して財産を失ったとされています。知能や専門性は、この種の熱狂に対する防御にならない例として語られます。

何が起きたか

英国の南海会社は、国債を自社の株に換える仕組みと、南米との貿易の独占権を得た会社でした。株価は1720年の夏までに100ポンド余りから1,000ポンド超へ上がり、その後に崩れます。株式会社の設立を制限したバブル法について、ロン・ハリスの1994年の論文は、南海会社が成立を後押しした法で、会社制度の歴史での重みは小さいと論じています。

どれくらい下がったか

株価は1720年6月末に約950ポンド、高値で1,050ポンドをつけたあと、晩夏に約190ポンド、12月に約124ポンドまで落ちました。高値からの下落は約82〜88%です。数字はオックスフォード大学のニュートン資料サイトのもので、下落率はその値からの計算です。なおOdlyzkoの図の注記では、6月末から8月末は株の名義書換が止まり、その間の値は先渡しに近い取引のものです。

戻るまでにかかった時間

Odlyzkoの価格表によると、1723年8月の株価は、配当株と年金の分割を調整しても約162ポンドで、高値の1,050ポンドには遠く及びませんでした。ただ会社は破産せず、清算は1853年だったと、YouTubeのPatrick Boyleは説明しています。同じ表の調整後の値は1719年11月の約119ポンドより高く、1720年に売買しなかった株主には利益だったといいます。

ここから学べること

物理学者ニュートンは、1720年前半に株を売って約2万ポンドの利益を得たあと、約2倍の値で買い戻したとみられます(Odlyzkoの推定)。損失は控えめに数えても1万ポンド超と推定され、知能や専門性は、この種の熱狂に対する防御にならない例として語られます。「天体の動きは計算できるが、人々の狂気は計算できない」という言葉は伝聞で、オックスフォード大学の資料も、損の証拠は決定的でないとします。

出典

  1. 論文・英語 Andrew Odlyzko(Notes and Records: the Royal Society Journal of the History of Science)(2018) Newton's financial misadventures in the South Sea Bubble
  2. 論文・英語 Ron Harris(The Journal of Economic History)(1994) The Bubble Act: Its Passage and Its Effects on Business Organization
  3. 資料・英語 Rob Iliffe・Scott Mandelbrote(Newton & the Mint、オックスフォード大学) Newton and the South Sea Bubble
  4. 動画・英語 Patrick Boyle The South Sea Bubble - The First Financial Crash

解説動画: 世界三大バブル#4 南海泡沫事件/オカモトの歴史実況中継

バブルという言葉の語源: 南海泡沫事件はバブル経済の語源になった事件。18世紀のイギリスは戦争続きで政府が借金を抱えており、政治家ロバート・ハーレーがその返済のために南海会社を設立した——国家財政の問題から始まっている点が押さえどころ。

同じ時期にフランスでも: フランスのミシシッピ・バブルとほぼ同時期に起きており、世界三大バブルのうち2つが同じ時期に起きている。似た構造が別の国で同時に成立したことが、この現象が偶然ではないことを示している。

株価を上げること自体が目的になる: 株価が上がるほど会社も政府の借金も役人の資産も潤う構造が作られ、南米との貿易という本業はどうでもよくなった。株価を上げるためにローンでの購入を認め、株を担保に融資し、その資金でさらに株を買わせる——借金で買い支える形が繰り返し使われた。