水墨画
日本・東洋
水墨画は、13〜16世紀に中国・日本で広がった様式。
どんな様式か
墨だけで描く絵。色を使わず、墨の濃さと水の量で遠さも質感も出す。塗り重ねて直しがきかないので、一筆の速さと迷いがそのまま残る。中国で生まれ、禅宗とともに日本へ入った。使う道具は墨と絵筆、和紙と少ない。墨を使う絵の総称は墨絵で、水墨画のほか、線で描く白描画、墨に色を足す墨彩画も含まれると、墨絵を描く蓮水は動画で整理している。
見分け方
紙の白をそのまま空気や水として残す。遠景は淡く、近景は濃い墨で入れる(空気遠近法と同じ考え方)。輪郭を引かず面と濃淡で形を出す描き方もある。下の層が乾く前に濃さの違う墨を足す「たらし込み」も使われる。蓮水の葉の描き方の動画では、筆を立てず寝かせて、先端を細く・中ほどを太く・また細く抜く一筆が基本と教える。線の太さの変化も見分ける目印になる。
いつ、どこで
中国では唐の末から宋にかけて成立した。日本へは鎌倉時代の半ばから、禅宗の広がりとともに中国の水墨画と技法が大量に入り、京都国立博物館は、やまと絵に対する「漢画」の流れができたと説明する。室町時代に幕府と禅寺が中国の画を集め、如拙・周文を経て雪舟が日本の水墨画を確立する。桃山期には松林図屏風のように屏風の大画面へ広がった。
代表的な画家
日本では雪舟等楊(1420〜1506年)が代表で、国宝の秋冬山水図(2幅)は、川沿いの道を奥へ延ばした秋と、切り立った崖を据えた冬を力強い筆で描く。長谷川等伯は南宋の牧谿に学び、松林図屏風(6曲1双)は近づくと激しい筆の勢いだが、離れると湿った空気に包まれた松林に見える。線の立て方と余白の量で描き手が分かる。
出典
- 公的機関・英語 京都国立博物館(Google Arts & Culture) The art of monochrome ink painting
- 公的機関 文化庁(文化遺産オンライン) 秋冬山水図
- 公的機関 東京国立博物館(e国宝) 松林図屏風
- 動画 Sumi-e artist 蓮水rensui 水墨画と墨絵の違い【知識編】
- 動画 Sumi-e artist 蓮水rensui 水墨画基本★様々な葉の描き方【完全版】
解説動画: 水墨画の定義と、山水画に描かれた人物の役割/TokyoNationalMuseum
水墨画をどう定義しているか: 水墨画とは主に墨の濃淡やぼかしを生かして描いた絵画で、彩色を施したものは着色画と呼び分けると説明する。同じ墨でも輪郭線を主体にしたものは白描画で、鳥獣戯画はこちらに入る。両者を並べると、水墨画のほうは物の明暗や凹凸に加え、対象を包む空気や光、奥行きのある空間を表すのに向いていることが分かるという。
中国での始まり: いつ誰が始めたかは分かっていないが、唐時代の8世紀半ばに現れた溌墨が発展のきっかけを作ったと考えられているという。地面に広げた布へ墨を注ぎ散らし、手足を使って描き、最後に筆でモチーフを描き足すと山や川が見えてくるという大道芸のような技法で、筆の線がないと当時は批判された。それでも墨の面で対象を捉えた点が画期的で、山水の分野が伸びる土台になったとする。
日本へどう入ってきたか: 早い時期の作品は残っていないが、平安時代後期には描かれていた可能性があるという。遣唐使が止まった後も中国との貿易は盛んで、水墨画も輸入されたはずだと述べる。本格的な導入は鎌倉から南北朝にかけての禅僧の行き来によるもので、室町時代には足利義満をはじめ将軍が中国絵画を集め、日本の画家はそれを直接・間接に学んだと説明する。
山水画では小さな人物を見る: 主役は山や川の空間だが、小さく描かれた人物の役割は小さくないという。狩野元信の筆と伝わる楼閣山水図屏風では、楼閣の中で一人が絵を描き、もう一人がそれを見つめる。奥に書物が見えることから高い教養を備えた読書人と想像でき、常緑樹や蓮も高潔な人格を示すという。人物が何をし、どこへ行こうとしているのかを想像すると隠れた主題が見えてくると勧めている。