大手門

門と虎口と堀

時代: 江戸

大手門は、城の正面に開く門を指す位置の呼び名で、建物の形式を指す名ではありません。

用途

城の正面に開く門という、位置についての呼び名です。形式の名ではないため、大手門と呼ばれる門が櫓門であることも高麗門であることもあり、枡形と組みになって二つの門が続く例も多く見られます。城下町から城へ向かう主要な道の突き当たりに置かれ、登城の行列も物資もここを通りました。表記は大手門と追手門の二通りが伝わり、指定名称でも揺れます。名古屋城のように、正面以外に東や西の大手門を持つ城もあります。

見分けの決め手

門そのものの形ではなく、城下町と城の位置関係から読みます。大手は城の正面にあたるので、城下の主要な道がまっすぐ突き当たる側に開き、門の前は広く取られます。指定名称をたどるのが早く、青森県弘前市の弘前城三の丸追手門、京都府京都市の二条城東大手門、高知県高知市の高知城追手門は、正面の門としての名がそのまま残った例です。

年代

名としては中世の城でも使われますが、大手門と呼ぶ建物がまとまって残るのは江戸時代です。弘前城三の丸追手門は慶長16年(1611)頃の建立と伝わり、二条城東大手門は寛永3年(1626年)の行幸に合わせて姿を変え、のちに二階建てに戻されたと説明されます。現存する門の多くは修理を重ねており、弘前城三の丸追手門は上層屋根を昭和13年(1938)に修理したのち、令和に入って再び葺き替えが行われました。

取り違えやすい相手

搦手門が相手です。城下町の側か、背面の谷や山の側かで向きを読みます。搦手は裏口にあたり、道幅も門の構えも大手より小さく作られるのが通例で、堀の外へ続く道もそこで細くなります。近代以降に道路や鉄道が引かれて城下の道筋が変わった城では、現在の駅や大通りの側が大手とは限りません。城下絵図と指定説明で、当時の正面がどちらだったかを確かめます。

立つ位置

門の前の道を、城下町の側から歩いて近づきます。正面性は建物より道の通り方に出るので、門を背にして城下を振り返ると位置関係がつかめます。高知県高知市の高知城追手門は石垣に載る門と、その先の天守が一枚に重なって見える位置があり、門と本丸の関係を一度に読めます。枡形の内側は人の流れが交わるので、立つ場所は壁ぎわに寄せ、通路の中央を空けます。

出典

  1. 資料・英語 JAANUS Ootemon
  2. 公的機関 青森県教育委員会 弘前城天守、二の丸辰巳櫓、二の丸未申櫓、二の丸丑寅櫓、二の丸南門、二の丸東門、三の丸追手門、北の郭北門、三の丸東門
  3. 公的機関 弘前市都市整備部公園緑地課弘前城整備活用推進室(2022) 弘前城かわら版 Vol.2